今回は、靖国問題について私の考えてをまとめてみました。なぜ首相の靖国参拝がいけないのか、よく聞かれる理由について、それが本当の理由なのかどうかを分析してみました。
真の靖国問題
八月十五日、小泉首相が靖国神社を参拝しなかったのは残念だった。残念というより、戦後歴代首相の多くが靖国神社参拝を拒みながら、訪米すると必ずアーリントン墓地にお参りしている事実を考えると、うんざりとした気持ちにすらなった。
毎年八月になると日本のマスコミは首相の靖国参拝を話題にするが、アーリントン墓地訪問に関する議論は聞いたことがない。
日本人の屁理屈
自分たちの両親や祖父母を守るため、日本という国を守るために、戦い、亡くなった人々を参拝することはいけなくて、空襲や原爆で民間人を含む何十万人もの日本人を殺害した米兵の眠る墓地に献花をするのはよいことなのか。首相の靖国参拝を反対しながらアーリントン墓地訪問を大目にみる日本人を、私は軽蔑せずにはいられない。
靖国神社に祭られた約二百五十万人のほとんどが、日本政府が徴兵し、政府のプロパガンダにのせられて戦地に赴いた人々である。敗戦までは「お国のために」犠牲になるようひたすら戦争に駆り立てながら、戦後はその犠牲者たちを参拝さえしない政府を国民はどうして信頼できるだろう。
日本人に聞くと首相が靖国参拝をすべきではないのは「国およびその機関はいかなる宗教的活動もしてはならない」とする憲法第二〇条に反するためだというが、私からみればそれは屁理屈にすぎない。
日本の憲法は米国がつくったものであり、第二〇条は米国憲法修正第一条(議会が宗教・言論・集会・請願などの自由に干渉することを禁じた条項)を手本にしている。これは一つの宗教を国家宗教と定めることで他の宗教の自由な活動を禁じないようにというのが目的である。
米国では、大統領がどの宗派の教会や墓地に参拝しても違憲だとは言われない。なぜならそれが他の宗教活動を妨げることにはならないからだ。それなのになぜ、首相の靖国参拝が他の宗教活動の妨げになるというのであろうか。
またもう一つの理由として、A級戦犯が合祀(ごうし)されているためだともいわれるが、そうであれば合祀前に参拝した首相が吉田と三木の二人しかいなかったことをどう説明するのだろうか。
米国の都合で裁く
さまざまな文献を調べたが、靖国神社に合祀された十四人のA級戦犯は正当に裁かれた戦犯というよりは、米政府やGHQの都合で処刑された犠牲者であったと思う。
GHQはほぼ同様の罪を犯したと思われる日本人の中から、戦後の米国による植民地支配に役立つと思った人物だけを釈放し、役に立たないと思った人を有罪にしたのである。
また、人道に対する罪という視点から見れば、民間人への攻撃を禁じるハーグ条約を無視して空襲を行い、原爆を投下した米国に、どうして日本を裁くことができるのだろうか。
人道に対する罪といえば、ベトナム戦争におけるソンミ村の大虐殺をご存知の方はいるだろうか。一九六八年三月十六日、ミライ地区で五百四人のベトナム人が米軍によって虐殺された。
大部分は老人と女性と子供で、女性は乱暴されてから殺された。そこにはベトコンもいなかったし、人々は武器も持っていなかった。虐殺を行った米部隊の兵士が司令官に報告書を送り調査が行われたが、根拠のないものとして抹殺された。
しかしその後、別の兵士が再び告発し、大殺りくが明るみになった。しかし有罪になったのはウィリアム・カリー中尉一人で、軍司令部の誰一人有罪にはならなかった。そのカリー中尉も懲役二十年の求刑で、わずか三年半の服役後、ニクソン大統領によって釈放された。これが米国の姿なのである。
心からの謝罪なし
靖国問題が話題になるたびに私が思うのは、日本政府が真の問題に対峙(たいじ)することを避けているということである。
十九世紀半ば、アジアの多くの国が欧米列強に侵略され、日本も同じ脅威に直面した。富国強兵策でその脅威と戦った明治の指導者は、いつしか、自らも欧米の仲間入りを決意し、アジア諸国を攻撃侵略し、植民地にした。
日本に住んで三十年以上たつが、それに対する日本政府の心からの謝罪をいまだ聞いたことがなく、そのかわり話題になるのは靖国問題、南京大虐殺、慰安婦問題といった事柄ばかりだ。
さらに大戦で犠牲となった百万人の非戦闘員の日本人も、同じく帝国主義的行動の犠牲者である。しかし日本政府が国民に対して心からわびたのも聞いたことがない。
日本の政府は、国家の方針としてとった帝国主義的行動によって、アジアの隣人と日本国民を傷つけ、命を奪ったことに対して、それが間違いであったことを認めて心から謝罪するまで、日本国民からもアジア諸国からもその信頼と尊敬を取り戻すことはできないと思う。
真の戦争犯罪者は、戦争を思いつき、計画し、宣伝し、実行した政界、産業界、学術界、宗教界、そして軍の指導者であって、兵士でも民間人でもない。だが、それら真の戦犯は、日本の帝国主義的行動に対する責任を逃れ、いまでもその責任を取ろうとしてはいない。そのスケープゴートとして、これからも靖国参拝は問題とされ続けるのであろう。