No.541 敗戦記念日に載った社説

今回は靖国問題や日の丸、君が代に対する私の意見に対して、多数ご意見が寄せられたので、それをご紹介するとともに、それに対する私の見方を再度まとめてみました。ぜひお読みください。

敗戦記念日に載った社説

 

本シリーズの538号に靖国問題に関して書いたところ、さまざまなご意見をいただいた。民主主義のよいところは、そこで暮らす人々が自由に、そして率直な意見交換ができることである。靖国神社に対する私の考えや、ひいては日の丸や君が代といったものについても、人によって違った意見を持つのは自然なことであろう。
常々考えるのは、米国人である私が日本に移住して会社を設立し、優れた社会基盤を利用して事業を行い、行き届いた教育制度のおかげで勤勉な社員が雇用でき、お客さまと気持ちよく商売ができるのも、そして父親として、娘たちが暴行されないか、麻薬事件に巻き込まれないかといった心配をすることなく過ごしてこられたのも、ほかでもない、この日本という国にいるからだということである。

侵略の事実が欠落

これは私だけではなく、日本でビジネスを行う人、日本で暮らす人のほとんどに当てはまるだろう。もちろん事業の成功には努力や能力、運もある。しかし、何よりも重要で忘れてならないのは、日本という国家があるからこそ、日本人一人一人がこうした多くの恩恵を受けているということだと思う。
その「感謝」の気持ちは、ともすれば「当然のこと」として忘れがちになる。それを忘れないようにするためにも、私は人様の前で講演をする時など機会があるたびに「日の丸」を持参し、掲揚する。
しかし、これを嫌悪する方が少なくないのも事実である。その理由はもちろん、先の戦争でその旗が国家主義の象徴となったからであり、従って国旗に対しても信頼を寄せず、また国民が政府を信頼すれば、まるで再び戦争が始まるとでもいわんばかりの論調となる。
しかし、日本で最大の発行部数を誇る日刊紙の8月15日の社説を読んだ私は、なぜ国民がそのような危ぐを抱き、政府を信頼できないのかという理由を改めて実感することとなった。
日本政府が心から謝罪することなしに国民の信頼を取り戻すことはできないと私は書いたが、まるで政府自民党の“御用機関紙”のようなこの大新聞の社説を読むと、それは難しいように思える。
その社説には、日ソ中立条約を破って8月15日以降も侵攻を継続していたソ連が日本を裁くのはおかしいとある。そこには最初に条約を破って侵略したのが日本であるという事実が欠落している。

「自己正当化史観」

そして、日本はアジア「諸国」を侵略してはいない、侵略したのは米、英、仏、蘭の「植民地」だったとまで書いている。それはあたかも、欧米列強の領土に侵攻したのだから正当化されるとでもいわんばかりだ。
さらに、その戦争で日本軍はさまざまな蛮行を行ったが、特定民族を絶滅させようとしたドイツの「人道に対する罪」とは根本的に異なるという自己弁護までしている。日本が行った犯罪を他国と比較して、自分たちはそれほどではないと主張することほど、安っぽく、恥ずべき行為はあるだろうか。
そして、GHQの言論統制のもとで進められた東京裁判史観にとらわれている人たちは、「日本一国性悪説」的な自虐史観に陥ってしまっている、と続く。ここに第二次大戦で日本政府が行ったことに対する反省が感じられるだろうか。
むしろこの社説こそ「日本は大して悪いことはしていない」という自己正当化史観から書かれたものであり、アジアの近隣諸国、さらには日本国民に対して犯した罪を認め、二度とそのようなことは繰り返さないという決意がみじんも感じられないと思うのは私だけではないはずだ。
この社説では結論として、日本の国家としてのアイデンティティーについて議論するためにも、アジアの近代史の実態を洗い直す必要があり、そうすることは戦前のような軍国主義への回帰を志向することにはならない、としている。
しかし何を洗い直すというのだろう。日本はアジア諸国など侵略してはおらず、欧米諸国の領土に侵攻したのであり、従ってアジア諸国への謝罪など必要ないということか。ドイツに比べればずっと罪は軽いから反省など必要ないということか。戦後の日本人に植え付けられた歴史観はすべてGHQの言論統制下での偽りのものであり、戦争に対する反省や謝罪など必要ないということなのだろうか。

戦争参加の下準備?

実際、すでに日本政府は「国際平和を求め、国際紛争を解決する手段として、武力による威嚇も、武力の行使もこれを永久に放棄する」という憲法を無視か、わい曲して日本の周辺で紛争があったときには日米で協力してこれに対抗し、米軍の後方地域支援を行うというガイドラインを日米政府間で合意している。
この社説が政府の見解でないとしても、日本の大新聞がこのような社説を敗戦記念日に掲載すること自体、戦争中毒の米国が始めた戦争に、日本が憲法を無視して参加するための下準備のように思えはしないだろうか。
それを阻止するためには、民主主義のルールに従って、この社説を支援する日本政府の中の主戦論者たちを、政治的に打ち負かすしかない。つまり選挙によって主戦論者である政治家を落選させるしかない。戦争を恐れて日の丸や君が代を否定していても、なんの解決にもならないと私は思うのである。