短期的な利益と効率だけを求めることが、長期的に企業に、社会に及ぼす影響を考えたとき、私は心から昭和の時代にあって平成に失われたものの大きさを感じる。そして、それらすべての基盤が教育にあるということを忘れてはならない。
勤めていた米国企業から市場調査のために日本行きを命じられてから、日本で会社を興し、日本人の社員と共に日本のお客さんを相手にコンピューターのソフトウエアを販売して三十余年が過ぎた。
米国人の私が会社を経営してこられたのも、コンピューターという新しい業界だったこともあるが、日本が閉鎖的ではないことの証拠ではないかと思う。しかし米国の政府や企業、特に世界を市場とみなす巨大多国籍企業は、日本の商売のやり方を不透明だとして日本市場の閉鎖性を訴える。
重要なのは信頼関係
米国政府や企業が日本の商慣行が「不透明」だという時、理由の一つに取引先の選定が不明確なことを挙げる。米国企業の場合、例えば製品の選定基準は極めて明確であり、何かを購入する場合、「安価」で「高品質」で「早い納期」のものを選ぶ。
確かにこれが購入時の妥当な基準だということに、私も異論はない。しかしこれが最も重要な基準だとは私は思わない。むしろ何かを購入する場合、自分に良くしてくれた人や大切な相手と商売をしたいと私は思うのである。
こう考えるようになったのは、この三十年間、さまざまな企業と取引をさせてもらい、お客さんや商売の先輩たちとのかかわり合いの中において自然とそう考えるようになってきたためである。そして昭和の時代、これはごく普通の考え方だった。
どこからものを仕入れるかを決める一番重要なことは信頼関係である。もちろん、安くて、品質が高く、納期が早ければいうことはない。
しかし、これまで自分に良くしてくれて、誠実な商売をしてくれた相手の製品であれば、一番安くなくとも、または最高品質でなくとも、ニーズに見合うレベルなら私はそれを買いたいと思うし、たとえ品質が少し劣っていたり納期が多少遅れても、ニーズを満たしてさえいれば、私が信頼できる、また私を信頼してくれる相手と商売をしたいと思うのだ。
このような前提の市場への参入は容易ではない。私も嫌というほど味わった。だからこそ、何度も営業で訪問し、カタコトの日本語しか話せなかった私から最初にソフトウエアを買って下さったお客様のことは忘れられないし、今でも親しくさせていただいている。
狩猟と征服と略奪と
私が日本で商売を始めた最初の数年間と同じような経験をすることなく、例えば必死で日本語を覚えることも、または日本の人々が商売相手に何を期待するかを考えることもなく商習慣を「米国と異なる」「取引が不透明だ」とし、米国政府に泣きついて、政府経由で市場開放を迫る米国企業は間違っていると思うし、それを真に受けて、日本を米国のように変えなければいけないと日本人が扇動することは問題外なのである。
私は家でも多少高くとも食材や日用品をできる限り近所の小売店で買うようにしている。なぜなら彼らは私の友人であり、私に質の劣る商品を勧めることは絶対にない。営業時間外でも、例えば具合が悪ければ知り合いの薬局が薬を売ってくれることを知っている。
そういうお店が私に誠実に接してくれるかわりに、私はできる限り彼らの商売に貢献する顧客でありたいと思う。これは「おたがいさま」の精神で、昭和の日本では当たり前の考え方だった。
米国の支配階級の祖先、アングロサクソン民族は気候も風土も暗く厳しいノルウェーをルーツとし、狩猟と征服と略奪を繰り返してフランスのノルマンディー地方を獲得した。
一〇六六年にイギリスにノルマン王朝を打ち立て、十六世紀にはアメリカ東海岸、一八五〇年には西海岸に進出し、世界の覇権を目指して今日も略奪を続けている。アングロサクソン民族が重要だと思う基準や能力とは、狩猟と征服と略奪に役に立つ能力であり、それは力と速さ、そして相手をだますことである。
変ぼうした価値観
「国家防衛」とは本来、他国の攻撃や侵入から国の境界線を守ることだったが、米国の防衛は国益、それも主に巨大多国籍企業の経済的利益を守ることになり、そのために今、米国は世界中で境界を侵して攻撃を行っている。
歴史を振り返ると、日本人はこの温暖な列島に定住して農耕に励み、アングロサクソンの略奪や征服の歴史とはかけ離れた文化・文明をつくり、独自の価値基準や価値観を築いてきた。
平成時代になり、儒教、仏教、神道や日本の古典といった戦前の教育を受けた人々が第一線を退き、かわって日本人を奴隷化し、日本を植民地化するために取り入れられた戦後教育を受けた人々が日本の指導的地位に就くようになって、その価値観は徐々にむしばまれていった。
安価、高品質、納期という選定基準以外は重要ではなくなり、自分の利益を少しでも多く上げるため、またはその時のニーズを満たすことだけが重要視されるアングロサクソン流の価値観が時代のすう勢となったことが、今日の日本社会のほころびの原因だと思う。
日本の人々がこの事実を認識し、伝統的な価値観を取り戻さなければ、日本の主権を米国から取り戻すことは難しいだろう。