No.570 ボウリング・フォー・コロンバイン

私はほとんど映画を観ないのだが、解説を読んでぜひ観たいと思っている映画がある。それはマイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」というドキュメンタリー映画である。

ボウリング・フォー・コロンバイン

 この映画は今年のカンヌ国際映画祭で55周年記念特別賞を受賞し、また3月におこなわれた米アカデミー賞では長編ドキュメンタリー賞を受賞した。その受賞スピーチでマイケル・ムーア監督が「虚構の選挙で選ばれた虚構の大統領が、偽の理由で戦争を始めた。ブッシュ大統領よ、恥を知れ」と厳しく非難した映像をテレビで見た方もいるかもしれない。

 マイケル・ムーア氏はジャーナリストでもあり、その著書“Stupid White Men”(邦題「アホでマヌケなアメリカ白人」松田和也訳)はアメリカでベストセラーになっている。ミシガン州フリントの出身で1989年にはフリントのジェネラル・モーターズ社の大量解雇を題材とした「ロジャー&ミー」というドキュメンタリー映画をヒットさせている。

米の銃犯罪数突出

 「ボウリング・フォー・コロンバイン」は、1999年4月にコロラド州リトルトンのコロンバイン高校の生徒が校内で銃を乱射し、12人の生徒と1人の教師を殺害したあと自殺した事件をきっかけに、なぜアメリカだけ銃犯罪がこうも多いのかという視点から作られた映画で、タイトルは犯人の少年2人が犯行に及んだ日は、朝6時からボウリングに興じていたために付けられたという。

 先進国の中でアメリカの銃犯罪数は突出している。OECDの統計によれば、2000年の銃火器による殺人、殺人未遂事件は、人口10万人あたり日本が0.03人であるのにアメリカは2.9人と約百倍である。銃の所有率では、アメリカを上回るというカナダでも0.54人であることから、銃犯罪の多さは所有する銃の数ではなくアメリカ人の精神構造に起因するといえる。すなわちアメリカには暴力の文化があるということだ。

 今のアメリカをみれば、国家レベルで暴力の文化がまん延していることがわかる。アメリカ人が少しでも怪しい人物がいればすぐ銃を向けるように、大量破壊兵器の保持を疑うイラクに対して米軍は大量の爆弾やミサイルを落とし、民間人を含む多くのイラク人を殺している。暴力で解決することがよいことであると、大統領自らが率先して示している。日々それを目にする子供を含むアメリカ国民が、自分たちには暴力をふるう権利があると思っても仕方がない。

「暴力の文化」実行

 3月17日、ブッシュ大統領は米国民に向けた演説で「イラクの支援により手に入れた生物、化学兵器や核兵器をテロリストが使用することにより、アメリカやその他の国の罪の無い市民を殺害するという野望を遂げる可能性がある。それを阻止するためにアメリカはイラクに武力を行使する権利を有している」と述べ、その権利を実行に移した。これが暴力の文化でなくて何だろう。
 解説によれば、ムーア監督は映画の中で、コロンバイン高校事件後にミシンガン州フリントで起きた6歳の少女が6歳の少年に銃で殺された事件も取り上げている。

 この事件は、そこに住む子供たちの87%が、アメリカ政府が規定する貧困線(65歳未満の単身世帯で年間所得約100万円、夫婦と子ども2人の家庭で約200万円)以下で生活をしている貧しい地区で起きた。地球上で最も豊かな国アメリカにおいて、仕事のない貧しい黒人と白人が住むその場所では、貧困が後押ししてどこよりも多くの暴力が起きている。

 クリントン政権が行った福祉改革によって手当てを打ち切られた母親が、6歳の息子を自分の弟の家に預けて、仕事のある高級住宅地であるデトロイト郊外へ数時間バスに乗って毎日働きに出ていた。そこでは最低賃金の時給5.15ドルの仕事を2つかけもちし帰宅は深夜になる。運悪く、弟が自宅に置いていた銃を6歳の男の子が見つけて学校へ持っていき、少女を射殺という惨事になった。

戦争より社会保障
 
 この母親に管理責任を問うことができるだろうか。仕事がない上に福祉の打ち切りという米政府の政策がもたらした結果がこれであり、こうした事件が起きるのも時間の問題だった。6歳児が簡単に銃を手にできるような環境でも、肉親である弟の家である。母親にはそこに子供を置いて働きに行くしか選択肢はなかったのだ。

 今アメリカがすべきことは、巨額の国家予算を使ってイラク人を殺すことではなく、仕事のないアメリカ人に働く場所を提供し、生活できる賃金を人々が手にできるようにすることだ。カナダとアメリカの銃の保有数が等しくてもカナダで圧倒的に犯罪が少ない理由は、カナダの社会保障制度が充実したものであり、それが国民の社会に対する信頼感、安心感として表れている。

 それにもかかわらず日本政府はひたすらアメリカを模倣し、依存と隷属を強めている。日本が追随する、メディアがほとんど報道しないアメリカ社会の姿を知るためにも、多くの人にこの映画をみていただきたいと思う。