米兵によるイラク人拷問の舞台となったイラクのアブグレイブ刑務所を、代替施設の建設を待って取り壊すとブッシュ大統領は発表した。(注:6月13日、イラク暫定政府のヤワル大統領は米ABCテレビのインタビューで、アブグレイブ刑務所を解体する考えがないことを明らかにした。同刑務所は1億ドル以上の費用をかけて建設した施設で、国家再建のため1ドルも無駄にすることはできないと述べた。)アグレイブ刑務所はサダム・フセイン政権時代の「処刑と拷問の象徴だった」とアメリカ政府が呼ぶものだが、そこで米兵によってひどい虐待を受けたイラク人の多くは法に基づいて拘束された「囚人」などではなく、イラクを不法に侵略し占領する米軍によって不法に強制抑留されているイラク人であるということを、まず私たちは忘れてはならない。そしてたとえアブグレイブ刑務所がなくなったところで、代替施設で同じことが繰り返されないとは限らず、アメリカのこれまでの記録を見ればそれで拷問がなくなると思うほうがどうかしている。
拷問と戦争の残虐性
ラムズフェルド国防長官はイラク駐留米兵によるカメラ付き携帯電話の使用を全面禁止したというが、インターネットをはじめ多くのメディアに流出した写真の一部が兵士がカメラ付き携帯電話で撮影したもので、その再発を防止するためであろう。このほかにも、刑務所の収容人数を減らすとか、何枚もの写真に写っていた頭にかぶせる目隠しの使用を禁止するといった拷問防止策をアメリカ政府は発表したが、こうした規制は、非人間的な拷問が再び行われてもその事実を隠匿するためだということもできるし、米軍の本質が変わらない限り拷問が終わることはないことだけは確かである。
ブッシュ大統領はじめアメリカ政府は、腐ったリンゴにたとえて一部の兵士が本来の軍の規律に反して非人間的な行為を行ったと強調しているが、それがまったくの欺瞞であるということは疑う余地はない。
それをどう言い表そうかと思った時、あるアメリカ人から日本ではその戦争犯罪をテーマにして有名な映画があることを教えられた。四十五年前に作られた「わたしは貝になりたい」という映画である。ご存知の方もあるかと思うが、あらすじを紹介すると、太平洋戦争の激化とともに理髪店を営んでいた主人公も徴兵され戦争へ行く。そして上官の命令で捕虜となった米兵を殺すのである。戦争が終わって平和な生活に戻った時、主人公は「捕虜虐待」の戦犯として逮捕される。巣鴨プリズンでは誰も処刑されることもなかったために講和条約によって釈放されるものと信じていたが、結局、「私は貝になりたい…」という遺書を残して絞首刑にされるのである。
主人公が米兵を殺したことは事実であるが、当時の日本軍で上官の命令に逆らうことは自分が殺されることを意味したであろう。この映画には強い反戦のメッセージとともに、下っ端の兵士が絞首刑を受けながら、A級戦犯と呼ばれる日本を戦争に導いた人が、戦後、首相や大会社の社長に就いたことへの問題提起もあったと思う。
いずれにしても、軍隊において下級兵士は上官の命令に絶対服従であり、他のどの組織よりもその上下関係は厳しい。したがってアブグレイブ刑務所で女性米兵がイラク人男性の首に革ひもを巻きつけて犬のように引いたり、裸のイラク人を前にくわえタバコで指差すポーズをとるなど、明らかにアラブの文化や習慣に基づいてイスラム教徒がもっとも恥辱を感じるような行為をしたことは、上官の許可どころか、奨励なくしてはあり得なかったと断言できる。
イラク人に行ったリンディ・イングランド上等兵らの行為は許されるべきことではないが、しかし要はこれが戦争の現実だということだ。戦争は人間を考えられないような狂気の行動に駆り立てる。そして「わたしは貝になりたい」の映画のように、罰せられるのは下っ端の兵士で、アメリカでも軍のトップのラムズフェルド国防長官はなにごともなかったかのようにやりすごすだろうということだ。
捕虜への暴行・虐待で訴追されたイングランド上等兵は、軍隊勤務と引き換えに大学の授業料が負担される制度を利用するために入隊し、二〇〇三年春からイラクに従軍していたという。現在、米国の軍隊はすべて志願兵からなり、小泉首相の息子が戦場へ行かないように、米国の権力者の娘や息子が志願することはない。米兵のほとんどがマイノリティーか中流以下の階層の若者たちなのだ。
イラク戦争ではアメリカも、また自衛隊を派遣した日本政府も報道規制を敷くことで多くのイラク人が殺されているという戦争の現実を隠してきた。コンピューターのボタン一つで多くの人を殺りくできるゲームのようになってしまったこの戦争で、アルグレイブ刑務所の拷問写真は衝撃的ではあったが、戦争とは相手を自分と同じ人間だと思わない、あたかもある種の劣った生き物であると信じて残虐な行動を人間にとらせるものなのだということを多くの人に気づかせたはずである。そして戦争に勝ち負けなどなく、イングランド上等兵と彼女が虐待したイラク人のように、敗者は両方の国民である。憲法を変えて戦争ができる国にする前に、日本国民もそれをよく考えるべきだと思う。