No.640 主権と民主主義

 イラクを統治していた連合国暫定当局(CPA)は、イラクへの主権移譲をうたった文書を暫定政権代表に手渡し、これによって米軍主導の占領統治は法的に終結したという。しかし元CIAエージェントだったアラウィ氏がイラク首相となったことを考えると、事実上の支配者は米イラク大使に就任した、中米などで植民地総督として名をはせたジョン・ネグロポンテであることは目に見えている。

主権と民主主義

 暫定政権は「完全な主権」を持つとされるが、主権とは独立国家が有する絶対的な統治権力のことである。16万人規模の多国籍軍が駐留を続けているイラクは顔をすげ替えただけであり、イラク人によって統治されていると思うのは大きな間違いだ。

 表面的であってもイラクに主権が移譲されたことで日本政府が期待しているのは、イラクについての報道をメディアがしなくなることかもしれない。報道さえされなければイラクの状況も、自衛隊がそこで何をしているかも、国民は知る由もない。技術革新が進んだ今、これはあまりにも皮肉なことである。

 しかしいくら技術が進歩してもそれを使うのは人間である。少数から多数に向けて発信されるテレビなどは特に、ニュースもプロパガンダも嘘も娯楽も宣伝も、支配する人々がコンテンツを選択できる。このような状況にある限り、自ら進んで求めようとしなければ世界の情報や日本政府については詳しく知ることはできないのだ。

 一部の支配者によって戦争に走った日本は、戦後、占領軍の押し付けだったにしろ主権在民という民主主義を取り入れた。デモクラシーはギリシャ語の「人民」と「権威」を意味する言葉からなり、参政権を持つ市民が票決する、アテネなどで行われていた直接政治の政治形態を指す。つまり国民が自由であるためには権力にある者を監視するという義務を果たさなければいけないということだ。

 アメリカ建国の父と呼ばれるベンジャミン・フランクリンたちも、多数者が少数者の、あるいは選挙で選ばれた少数者が多数者の自由を侵害することがあり得ると、人間のすることを信用してはいなかった。そのため立憲主義を維持するには国民が常に監視を怠ってはならないと説いた。それがアメリカの民主主義なのである。しかし今の日本において、その民主主義の基本を多くの日本人は理解してはいない。だからこそ日本の将来には暗雲がたちこめている。

 政府与党は有事法制関連七法を成立させ、冷戦時代にソ連の侵攻を想定して始まった有事法制の整備をいつのまにか完成させた。日本が戦争に出かけて行くのでなければ、どの国が攻めてくることを想定しているというのか。ソ連は崩壊し、政府が脅威を喧伝する北朝鮮は経済も軍隊の力も弱まり韓国が難民の流入を懸念する状態にある。結局、政府が法整備を急ぐのはイラクのようなアメリカの戦場に自衛隊を参戦させ、その国のインフラを破壊する一方で、復興ビジネスのおこぼれを日本企業が受注できるようにしているとしか思えない。政府の行動を調べれば調べるほど、政治と軍需産業が結びつき、アメリカのような軍産複合体が形成されつつある姿が浮かび上がってくる。

 スイスの研究所の発表では2001年、日本は自衛隊の装備などを中心に約165億円相当もの小型武器を輸入し世界第四位の小型武器輸入国だったと報道されている。民間用の猟銃とはいえ、日本は小型武器輸出額でも世界第九位という武器輸出入大国なのだ。

 日本で愛国心というと良いイメージはないかもしれないが、私は自国の政府が間違っていると思えばそれに反対することが真の愛国者であると信じている。無関心を装って愛国心を毛嫌いするような風潮が続けば、多くの日本人はヒトラーの犯罪におけるドイツ人と同じ責任を負うことになる。日本が取り入れたアメリカの民主主義の概念とは、フランクリンやワシントンなど建国の父が書いているように、根本的に疑いの上に成り立ち、したがって国民は常に政府に対して用心深くあらねばならないというものなのである。

 イラク侵攻における失敗の証拠が次々と出されてもアメリカはイラクから去ることは計画にはないようだ。石油をあきらめていないだけでなく、イラク国内に軍事基地を14拠点もつくっている。したがって小泉政権のもとではフィリピンのように撤退する国があっても自衛隊は米軍とともにイラクに居続けることになるのだろう。

 しかし希望はある。スペインでは大量破壊兵器の脅威を理由に強硬にイラクへ派兵したアスナール政権が、3月の総選挙前に起きた列車テロの犯人をバスク独立派だという嘘の情報を流して国民の不信を買い、第一党をイラク派兵に反対した社会労働党に奪われた。投票率は77%だった。日本では57%に満たなかった先の参議院選挙だが、同じ力を日本国民も持っていることに早く気付くべきだと思う。