私の会社は東京都港区にあるが、この夏の暑さは例年にも増して厳しい。その理由の一つが、港区の海沿いにある再開発地区にできた高層ビル群が、海からの涼しい風をさえぎるようになったために、内陸の都市部が高温化するヒートアイランド現象を助長している可能性が高いことが大学などの研究で分かったというニュースを聞いた。
エネルギー政策の危うさ
先日、東京が40度近い温度を記録した日には、当然ながら作務衣を着ていても暑かった。自分の体温よりも確実に高いアスファルトの照り返しと自動車の排気ガスの中を歩きながら、日本が冷夏だった昨年、猛暑となったフランスで1万4千人を超す死者を出し、そのうちの多くがお年寄りであったことを思い出した。
日本の平均寿命は世界一で今年さらに記録を更新したが、フランス女性は日本に次いで二番目に長寿である。一人暮らしが多いためにフランスでは多くの老人が亡くなったが、東京でも同じようにたくさんのお年寄りが熱中症で救急車で運ばれたという。しかし東京で記録的な暑さとなった翌日の経済紙は、暑さによって経済効果が高くなり、株式市場ではエアコンや飲料水などの猛暑関連銘柄の株が上昇したことが大きな記事となっていた。
移動は冷房の効いた自動車で行い、冷房のきいたオフィスできっちりとスーツを着こんで経済性や効率性だけを追求しているビジネスマンにとっては、気温が40度になろうとそれは景気を後押しするという話題で終わってしまうかもしれないが、この経済体制を支えているのが化石燃料であるということを忘れてはならない。そして化石燃料の枯渇は、地球環境問題とあわせて現実問題として差し迫っている。
人類は数百万年もの間ずっと森林から燃料を得て文明をつないできたが、産業革命以後、石炭という化石燃料を使い始めて、20世紀になってからはそれが石油に代わり飛躍的に文明が発展した。しかしその石油の埋蔵量は現在確認されているものはあと40年も経てば枯渇することは確実である。
日本のエネルギー消費は1973年のオイルショックで省エネ機運が高まったのもつかの間、生活水準の向上にあわせるようにエネルギー消費量が増え、2000年度には1973年の2倍以上にもなった。技術進歩によってさらに多くの石油を掘削できるようになったとしても、それを上回る量のエネルギー消費が予想される。
さらに日本のエネルギー自給率はわずか20%程度で、石油供給はほぼ全量を海外に頼っているうえに、その九割は中東へ依存している。私はこうした事実を、恐怖を煽るためではなく避けられない現実として強調したい。つまり、生活水準を下げるなど、私たちがエネルギー消費を抑えなければ結局この生活を維持することは不可能なのだ。
化石燃料の枯渇による経済体制の崩壊を話題にすると、再生可能なエネルギー資源が近いうちに実用化されると楽観的な反応をする人がいる。しかしここでも現実的になるべきだ。例えば原子力発電は、安全面で問題が解決されていないばかりか、その費用はあまりにも高額である。
エネルギー政策は特定企業の短期的な目標にあわせて立てられるべきではないと考えるが、再生可能なエネルギー資源へ政府の取り組みは遅く、規模はあまりにも小さい。東京都では風力発電、燃料電池バスの導入などを始めたが、なぜ中央政府がそれを率先して行わないのか。風力発電設備は半年もあれば建設できるし、太陽光発電装置なら一般家庭の屋根に一日で設置できる。そのような再生可能かつ地球温暖化を促進しない代替エネルギーがあるにもかかわらず、政府の政策は枯渇を目前とした資源に依存している。
さらに政府はエネルギーを多く消費する産業に巨額の補助金を提供している。たとえばもっとも効率的で大量の輸送能力を持つ鉄道会社は自分で土地を買って駅舎や線路を造らないといけないが、多くの化石燃料を消費する航空会社は空路を買うことも、独自で空港を造る必要もない。バスやタクシー、トラック、個人で車を運転する人も自分で道路や信号機は造らない。政策そのものが明らかにエネルギー効率の悪い航空産業や自動車産業を優遇している。
エネルギー自給率20%の日本において、エネルギー政策の失敗はすなわち社会の崩壊を意味する。持続可能な経済のためには歩行者や自転車に補助金を出すべきだし、沖縄よりも暑い都心では、例えば沖縄の官公庁や企業のようにアロハシャツ着用を推進して最大電力需要を少しでも下げる施策をとるべきだ。アロハなら作務衣よりももっと快適に過ごすことができるに違いない。