No.652 弱肉強食の帝国主義

平成10年に話はさかのぼるが、なぜか私は厚生省(当時)が主催する「21世紀のたばこ対策検討会」なる会の委員に選ばれ、たばこについて話し合う会合に参加した。これは厚生省保健医療局長の私的検討会で、たばこ対策の取り組みを促進するための啓発普及を目的とするというものだった。

弱肉強食の帝国主義
 
 私のような民間人や、医師、学者や日本たばこの経営者などを集めてそのような話し合いをしたところで、あれから6年たった現状をみれば政府が税金をむだに使っただけで、日本政府が、しょせん、たばこを取り締まろうという気がないのは、駐車違反を真剣に取り締まろうという気がないのと同じくらい明白かもしれない。

 その会合に参加した当時の私は、過激なまでの“アンチたばこ”派だった。もちろん気持ちは今も変わらないが、特にそのころは、喫煙で自殺行為をすることはかまわないが他の社員を殺すことを経営者として許せないとして、喫煙者は採用しない、喫煙社員は昇格させないといった方針をとり、道でたばこのポイ捨てをみれば「落とし物ですよ」と拾わせる(これは今でもやっているが)といった具合だった。

 私自身、パイプを愛用していたので、禁煙のつらさはよくわかる。そして一度自分が禁煙したあとは、家族のような社員にはたばこを吸わない快適さを知らせたくて禁煙を強制したのだった。私が特別に意志が強いわけではないことは、今日にいたるまで禁酒ができないことからもわかるが、社員から、個人の嗜好まで経営者が口出しすべきではないという強い反発にあい、今では社内禁煙という緩やかな規則のみが残っている。

 しかし今でもたばこの害についての記事をみつければ社員に電子メールで発信するなど、一人でも多くの社員が、自分だけでなく周囲の人にも害を与える喫煙を止めてくれることを願う気持ちに変わりはない。

 たばこ対策検討会で得たものはなかったが、厚生省館内が禁煙でないとか、たばこの害を「モラル」にすりかえようとするたばこ会社の姿勢、または喫煙者が早死にすれば年金は安上がりなどという発言におどろき、また、救命救急センターに心筋梗塞で運ばれる20-40代の9割がヘビースモーカーと聞いて恐ろしくなったことを覚えている。

 なぜ私がこの会を思い出したかというと、たばこに関するロイター通信の興味深い記事を目にしたためだ。消費者に喫煙の有害性を隠して不当な利益を得てきたとして、米政府がたばこ各社に対して2800億ドル(約30兆円)の罰則金の支払いを求めた訴訟の冒頭陳述で、司法省側は「たばこ業界は50年間にわたってうそをついてきた」と述べたのである。アメリカでは1998年、たばこ会社が総額2060億ドルを46州に25年にわたって支払うことで和解した例があるが、今回はこれを上回る過去最大規模の訴訟となる。

 米政府がたばこの危険性について初めて発表したのは1964年だった。米国公衆衛生局長が喫煙の危険性についてのリポートを発表すると、たばこの売り上げが減少した。これに対してたばこ会社フィリップ・モリスの幹部は、喫煙による健康への悪影響を混乱させるために巨大な広報活動を開始したという。

 アンチたばこの私は、以前にもたばこが有害であるリポートをいくつも調べたが、多くの人が喫煙を止められないのは、たばこに中毒性あり、脳下垂体を刺激してストレスに対処させるメカニズムを持つとされるニコチンを摂取しつづけると、摂取を止めたときに生理的にアンバランスになり、ニコチンを求めてしまうからである。たばこメーカー内部では政府が発表する以前から、実験によってそれを知っていた。

 電車に乗れば依然としてたばこの広告が目に付く。新聞などでマナー厳守をうたった広告を展開しているが、真の問題は歩きたばこやポイ捨てでは決してない。さらに気になるのが、厳しくなった日本市場に代わってアジアなどの海外でたばこを販売している点であり、これはアメリカのたばこメーカーとまったく同じ戦略である。アメリカのいくつかの州ではレストランや公共の場での喫煙が禁止されているが、真似して欲しいその点はまねせずに、自国民の健康も守れるからといって規制の弱い海外に輸出するという、海賊のやり方はなぜすぐに取り入れるのか。

 前述の会で、たばこは500年以上にわたり定着した嗜好品だという主張がなされたが、私はそれに対して「アヘンはもっと長い文化であり、歴史が長いことは言い訳にならない」と反論した。19世紀、イギリスは国内で禁止されているアヘンを中国に輸出し、中国人の財産や生命を奪いとった。

 中国側がアヘンを没収して焼き払ったことを怒って1840年、報復のためにイギリスは宣戦布告をし、世界最強の軍隊が十分な大砲もない清に攻め込んだのがアヘン戦争だった。弱肉強食の帝国主義は、今も昔も、まったく変わっていない。