No.656 納得いかぬ大手スーパー救済

 先月、あるテレビ報道番組のコメンテーターとして出演した。番組では、経営再建中だった大手スーパーが民間スポンサー候補による再建計画作りを断念して産業再生機構を活用する方針を固めたニュースが取り上げられた。2000年にはそごう、2001年にはマイカルといった流通大手が経営破たんし、この大手スーパーも2002年ごろから頻繁にメディアに取り上げられてきていたのだが、今回、いよいよその結論がでたというところだろう。

納得いかぬ大手スーパー救済

 番組でも発言したが、企業が破綻に追い込まれたのは、利益追求ばかりに目を向けて消費者を無視してきた結果、市場がその存在価値を必要としないという現実に至ったにすぎないと私は思っている。そのような企業を再生させることが何を意味するかを考えてみたい。

 第一に、なぜ政府が国民の税金を使ってこの企業を助けるのかということだ。納税者にはその競合企業や社員も含まれる。この企業はひたすら利益を狙って店舗網拡大や多角化経営を推し進め、本業の業績悪化で2001年から経営再建を開始して、主力銀行が数千億円の債権放棄をするなどの支援も行われた。それでもまだ1兆円を超す借金があるという。規模も業種も違うとはいえ、同じ企業経営者として信じがたい経営をしていた企業を、なぜ、私たちの税金で助けるのか、どう考えても納得がいかない。

 これまでの大企業やメディアは政府に対して規制緩和を要求する際に、「市場経済を導入しろ」「失敗は自己責任」「取引には透明性が大切だ」等々を言い続けてきた。この企業を再生させること自体、市場経済や自己責任とはほど遠いことではないだろうか。

 1974年に施行された大規模小売店舗法(大店法)をアメリカ政府が1990年に緩和・撤廃を強く迫り、大企業はこの外圧を利用して大店法は徐々に緩和され、2000年に撤廃された。こうして急速に日本国内に大規模小売店が広まった。大企業の利益追求を阻む要因は、すべて市場経済に反する「悪」だとして規制緩和が推し進められてきたのである。

 番組では2年前にこの大型スーパーが突然閉店し、商店街がダメージを受けているといった映像が流された。しかしこの大型スーパーが開店した時に破たんに追い込まれた、家族で経営しているような小さな小売店には、市場経済だ、競争力の強化にはげまなかった、自己責任だ、という言葉が投げかけられたではないか。

 昨年、日本の小売業界で働く人について調べたが、小売業で働く人の30%がパートタイマーであった。大店法が緩和された2000年からは小売業の正社員数は13%も減少し、パートが21%も増加している。小規模の小売店を倒産に追いやってできた大規模小売店がもたらしたのは、多くの低賃金のパートの職だった。パートの時給では生活できないことは以前にも書いてきた。

 産業再生機構を活用するもう一つの問題は、それが結局は税金で銀行を救済するということだ。メディアの報道によれば、この企業は数日前まで米ウォルマートのような民間企業に援助を求めていたが、銀行の要請で再生機構にしたという。私は二つの理由からウォルマートの手に渡ることはないと思っていた。

 一つは、今この企業を引き取れば、良い部分と悪い部分の両方を引き取る必要があるが、再生機構にゆだねれば不良債権はまず税金で支払われ、残った良い部分だけを買い取ることができるからだ。これはリップルウッドが破たんした旧長銀を買収した際に誰が借金を払ったかを思い出せばよい。再生機構なら外資系企業よりも多くの不良債権を税金で補てんするだろうから、銀行が再生機構の活用を要請するのも当然である。

 もう一つは、今ウォルマートが買収すれば現金で買収しなければならないが、2006年には商法改正によって、好業績で株価の高い企業が巨額の買収資金を用立てなくても自分の株式と被買収企業の株式を交換して買収する方法が外資にも認められる見通しである。これで2006年以降、日本企業はますます外資からの買収の対象となり、当然ウォルマートも、それ以前に買収することはないであろう。

 さらに旧長銀がリップルウッドに売却された経緯を思い出せば、その条件交渉はおそらく同じように不透明なものとなると買収側の企業は踏んでいるだろう。こうして再び、銀行のために国民の税金が使われるのである。

 自己の利益追求のために巨額の借金を積み上げた企業を、再生機構を使って支援することは、結局はその他の、健全で、正直で、責任ある安定経営をしている企業に対する冒涜にも等しい。それは公正な競争、市場経済、透明性、自己責任とは正反対のものであり、破たんするような経営をしている企業を助けることは社会の利益になるどころか、悪しき前例を作るだけに過ぎないと私は思う。