国内の移動を飛行機から鉄道だけにして久しいが、最近は周りの人たちにも鉄道へのシフトを呼び掛けている。以前も書いたが「ピークオイル」という言葉を知ったためである。日本のメディアや政治家がそれについて論じているのを聞いたことはないが、世界の石油生産量がピークを迎えつつあるということで、英語のインターネットの世界でこの言葉を検索すると6万以上の記事が見つかる。それらが共通して言うことは、人類は2005年から遅くとも10年には石油生産量がピークになるというものだ。
石油依存からの脱却を急げ
新しい油田を見つけて石油を掘っていくと、当然ながら埋蔵量の半分、つまりピークを過ぎたあたりから生産量は減少に向かう。そのため、以前と同じ量の石油を採るためにはより多く費用がかかるようになる。アメリカの地質学者ハバート氏は、1956年にアメリカの石油生産は1970年にピークに達するだろうという予測をし、80年代にそれが正しかったことがわかっている。そしてアメリカは石油輸出国から輸入国になり、2000年の石油消費量の半分は輸入によるものだ。このハバート氏の跡を継いだ人たちが、世界全体の石油生産量は2005年から遅くとも10年の間にピークになると予測している。
日本でも経済産業省が出しているエネルギー統計などでは原油埋蔵量から予測して可採年数はあと43年といわれている。しかしこれは単純にあと40年間は大丈夫ということではない。石油は深度の浅い、採掘コストの安いものから使われるため、採りにくい石油が残ってくる。ピークを超えたということは、これからの石油生産にはより多くのコストがかかるようになるということだ。それは石油価格の高騰をもたらし、安い石油燃料の上になりたっている現代の工業社会においてあらゆるものの価格が上がることを意味する。
安い石油エネルギーを使った大量生産、大量消費、大量廃棄という経済は、多くの国民を維持するためというより、むしろ生産者を富ませるために仕組まれたシステムだといえるが、石油が今までのように使えなくなればこのシステムはうまく機能しなくなる。なぜなら代替とされる原子力、風力、水力、太陽、水素などはどれも短所があり、石油にとって代わることは不可能だからだ。
私たちにできることはエネルギーの使用量を減らすことしかない。石油が高騰し始めると生活は劇的に変わる。飛行機は手の届かない乗り物となり、自動車も同様になるだろう。しかし鉄道や自転車による交通網を築いている社会は比較的少ない影響ですむだろう。輸送費用が高額になるため世界貿易は劇的に縮小し、人々は地元で生産されたものを消費する生活にもどるようになる。そのためにも鉄道へのシフトを日本は早急に進めるべきだと思うのだ。電気で動く鉄道も石油燃料を消費するが飛行機や自動車と比べればずっと輸送効率は高いからである。
アメリカのように自動車を中心とする社会は大打撃を受けるが、アメリカもかつては鉄道中心に街づくりが行われ、電鉄会社が無数の都市を結ぶ都市間輸送を行っていた。しかし第二次大戦後、高速道路の発達にともない民間企業であった電鉄会社のほとんどは経営が維持できずに破たんしていった。先日アメリカの鉄道について調べたところ、アムトラックに関する興味深い情報を見つけた。
アムトラックは1971年に長距離旅客列車として全米で運行を開始した。ずっと赤字続きで毎年予算獲得に苦労しており、米メディアはアムトラックへ国庫補助金を出すことが財政赤字の元凶だといわんばかりの報道をする。しかし実際は、アムトラックへの補助金など微々たるもので、巨額の補助金を受けているのは高速道路や航空業界である。つまり、アメリカにおける交通基盤が自動車や飛行機になったのは自由競争の原理によるものではなく、米政府が自動車と航空業界のために長期にわたり巨額の財政支援を行ってきたからなのだ。
例えば過去30年間にアムトラックには300億ドルの国庫補助がなされたが、同時期、米政府は高速道路と航空業界に1兆8900億ドルも財政支援をしている。1946年以降、米政府は空港の建設に数10億ドルも使った。『アムトラック物語』(Frank Wilner著)によれば、アメリカで鉄道に投じられた投資額は国民一人当たりわずか1.46ドルで、最高はスイスの228.29ドル、最低はフィリピンの0.29ドルだという。また1971年から1994年にアムトラックへの国家補助が年間2億2000万ドルを超えた年はなく、この額は郊外の高速道路の1~2マイルの建設費用にすぎない。そして赤字続きのアムトラックはこの投資額でもうけをださなければ廃止だといわれ続けているのが現状なのである。
日本もアメリカと同様、交通の社会資本投資は、道路整備や空港建設が鉄道投資を大幅に上回っているはずだ。手遅れになる前に、自動車中心の、石油に大きく依存しなければ持続不可能な政策から鉄道へのシフトを日本はすべきである
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