No.661 「足るを知る」生活目指せ

 2007年問題という言葉がある。「団塊の世代」とよばれる、1947年から1949年に生まれた戦後ベビーブーム世代が定年を迎えはじめるのが2007七年で、コンピュータ業界においては、大型汎用機の基幹系システムを開発・保守してきたこれらの人々が定年するとシステムの維持管理に問題が出るということから始まったらしい。コンピュータの世界では2000年問題も話題になったが、大きな混乱は起きなかったように2007年問題も似たような結果をたどるだろう。

「足るを知る」生活目指せ

 振り返ると私が日本に来たころ、日本人はいまよりもずっと政治や国のあり方に関心を持っていた。団塊の世代はまさにその中心だったと思う。学生運動、そして高度成長期の企業戦士、バブル経済と崩壊を中核で経験してきた人々が2007年には一部の経営層を除き企業の一線から退き始める。日本を大きくかじ取りしてきたこの世代は、その数からしてこれからも国を良い方向にも、悪い方向にも導くことができる力を持っていると思う。

 先日アメリカ人の友人と米国の状況について似たような話をした。米国のベビーブーマーは幅広く、人口統計上では1946年から1964年に生まれた約7600万人、米人口の4分の1が該当する。そして米国でもこのベビーブーマーの趣味やライフスタイル、そしてその野望が現在の国家を形作ってきた。

 1968年ごろ、米国は豊かさという意味で世界のどの時代のどの国と比べても圧倒的であり、ブーマーたちは飢餓を知らずに育った最初の世代だった。しかしその自由や豊かさをもたらしたのは、彼らの勇気や忍耐のおかげではなく、国土が戦火をまぬがれたことと、その土地が天然資源に恵まれていたためだ。第二次大戦後、工業国のなかで米国だけが無傷で経済が安定していたために他の国は米ドルを外貨準備通貨に採用した。当時、米国の油田は世界中でとれる石油の半分以上を供給し、また世界の工場としてさまざまな製品を製造した。広告業界はテレビなどのメディアを使って広告宣伝を行い、人々を買い物マニアにし、国民が「消費者」と呼ばれるようになったのもこの頃だった。

 およそ200年前まで、人間が使うことのできるエネルギーは風力や水力、動物や人間の力を利用したものだった。しかし1960年以降、エネルギー面で人間の貢献は急激に減少した。それは石炭や石油という化石燃料によって動く機械が、生産や輸送などあらゆる活動のエネルギーを提供するようになったからである。そのエネルギーを利用して米国は豊かな国となり、ベビーブーマーはそんな時代に成長した。

 ブーマーたちはまた、ヒッピーやベトナム反戦運動などの反体制文化の担い手でもあった。学生運動や市民運動が盛んだった1970年、日本風にいえば「足るを知る」こと、つまり過剰な消費一辺倒から、環境を考え、自然保護を中心とする生き方を目指そうとして始まったのがアースデーだった。アースデー1970ではニューヨーク市では市長が五番街から車を閉めだしたり、サンフランシスコでは十万人が「エコロジーフェア」に繰り出すなど全米規模の催しとなった。大手メディアもこぞって報道し、これをきっかけに環境保護庁が設置されて大気浄化法、水質浄化法などさまざまな環境法が整備され、米軍は枯れ葉剤の使用を禁止されるなど影響はきわめて大きかった。そしてこのころは、アメリカの石油生産がピークを迎えた時期でもあった。

 もしこの反体制派の勢いがそのまま続けば、今日の米国はまったく違ったものになっていただろう。しかし、このあと米国はソ連という競争相手と戦うことを国家の最優先事項として選択した。こうして1980年、大統領に選ばれたのがレーガンだった。それ以降、米国はグローバリゼーション、帝国主義、軍国主義に向かっていった。アースデーは影をひそめ、「足るを知る」という思想は「貪欲はよいこと」にとってかわった。

 1970年代に米国の石油生産がピークを迎えたように、今度は世界の石油生産がピークを迎えつつある。豊かな生活しか知らない米国のベビーブーマーたちにとって、初めて、これまでの豊かな基盤が、つまり安い化石燃料に基づく生活を続けることができなくなることを意味している。

 だからといってこれは地球の終わりではない。1970年のアースデーを再現し、それももっと大きな規模で、平和で、石油に依存しない、「足るを知る」生活を目指せばよいのである。日本では定年後、農業をはじめる人が増えているという。物質中心の生活から、自然に回帰した生き方を目指す人が増えれば、日本は大きく変わるだろう。日本を起点として、利益よりも自然や環境を優先し、持続可能な社会を目指す活動を広め、定年したあとにおいても大きな素晴らしい影響力を団塊の世代がもたらしてくれることを期待したい。