No.662 日本人が歩むべき道

 昨年12月初めにある新聞社が行った地球温暖化に関する調査結果で、省エネ生活をしてもよいと思っている人が9割近くいたという。「省エネ」といっても程度には個人差があるだろうが、この結果を聞いたときに私は石油エネルギーをふんだんに燃やして成り立っている現代の生活様式が永遠に続くことはないということ、そしてそれを改めることは、自分にも地球にとっても、正しい方向であるということを多くの日本人が漠然と心に抱いているのだろうと思った。

日本人が歩むべき道

 環境問題に興味を持つようになってから必然的にエネルギーに目がいき、安い石油に基づく現代の工業社会が成り立たなくなるということをこのコラムで書いているが、私は石油がなくなるというデータをもとに人々の恐怖心をあおるつもりはないし、恐れるべきではないと思っている。むしろ、国民が見えない将来に対して恐怖心を持つことは、戦争のような人為的な災難を引き起こす原因となる。米国がそうである。

 米政府が国民にテロや大量破壊兵器の恐怖を必要以上に宣伝することでイラクへの攻撃を正当化し、米国では今でも多くの国民が9月11日のテロとイラクが関係あると信じている。アメリカとイラクの大学の共同研究チームは、一昨年3月のイラク戦争開戦後、米軍攻撃によるイラク人死者数が十万人を超えたとの推計を発表したが、その過半数はイラクの女性や子どもたちだった。テロの恐怖をあおる米政府が行っていることこそ、テロ行為に他ならないが、恐怖にとらわれた心にはそれがわからなくなるのだ。

 日本でも小泉首相は米軍が行うファルージャ総攻撃を「成功させないといけない」と述べた。成功とは多くのイラク人が殺されることだ。日本人の香田さんが殺害されたとき、テロ行為に強い憤りを覚えると首相は言ったが、米軍が行うテロ行為は自衛隊まで派兵して支援している。そして新聞社の調査によれば、国民の四割近くが小泉首相を支持しているというのだから、恐怖よりも日本では「無関心」が問題かもしれない。

 これら米国の軍事行動についていえば、エネルギー資源が目的であることは明白だ。自国の石油生産がすでにピークに達した米国の政治や産業界のリーダーたちは、少なくとも自分が生きている間は、暑い夏も涼しく寒い冬も暖かく過ごし、自家用ジェットや燃費の悪いスポーツカーやSUV(スポーツタイプ他目的車)を乗り回す、大量生産・大量消費という生活を変えるつもりはないのだろう。

 世界中のエネルギー供給地に米軍基地をおいて資源を支配し、軍隊を派兵するためには地域が不安定なほど都合がよい。小泉首相はそのおこぼれをもらうために自衛隊の命を米国に差し出し、危険なイラクで米軍の支援をさせる。そして憲法を変え日本も戦争ができるようにし、核兵器すらも配備したいようだ。

 それが日本の国益のためだと言う人がいるが、一部の軍需産業の短期的な利益にはなっても、少なくとも長期的には国民に何も益はない。米政府でも石油はあと40年でなくなることを認めている。たとえそれが数十年伸びても、生産がピークを過ぎ価格が高騰しはじめれば、米国が自国を犠牲にして日本を助けることはない。核兵器を配備したところでエネルギー供給源が絶たれれば戦うこともできないし、食料自給率の低い国は経済封鎖にあえば国民が飢えるのは時間の問題だ。歴史を振り返ってみるといい。

 石油が一滴もなくなる日がすぐそこに来ているわけではないが、先進国が今のペースで使い続け、インドや中国の利用が急増すればその日は思いのほか早くなる可能性はある。長い歴史において、人類はほとんどの間、貧困や飢餓の中で生きてきた。現代人がそれに戻るという最も苦しい道をたどる前に、たとえば石油を使わない有機農業を国家政策とするなどすべきことはいくつもある。ソ連の崩壊後、米国から経済封鎖をうけたキューバでは政府が有機農業による自給を推進した。石油がなければトラクターは使えないし農薬も肥料もない。そこでミミズを使い、生ゴミを堆肥化し、土壌微生物を使い、かつてそうだったように動物や人間がエネルギー供給者となったのである。

 今、日本政府は米国しか見ていない。しかしエネルギーと食料を自国でまかなうことのできない国は、軍事大国ではなく、わずかなエネルギー資源でしたたかに生きる国を見習うべきだ。さらには日本には手本となる素晴らしい歴史がある。簡素な生活に必要なものは何でも製造し、文化的にも非常に洗練されていたほぼ完全な循環型社会だった江戸時代だ。そして弱肉強食の競争ではなく、稲作を中心に織りなされてきた長い「和」の歴史である。生きるために自然を必要以上さく取することのない道教的な価値観。それこそが日本人が歩むべき道(タオ)だと思う。