No.670 地球に生きる一人として

年明けから私は弊社のお客さまをお招きして新春の講演会を全国数カ所で開催した。この「新春の集い」を始めて数年になるが、企業の最高責任者として、ビジネスという視点からではなく、ひとりの人間として興味のある問題をテーマにお話しするという会にお客さまにお越しいただけるというのは、仕事と趣味は切り離さないという私の信条にも則っており、これ以上うれしくありがたいことはないと感謝している。もちろん今年は、昨年から夢中になっているエネルギー資源をテーマにお話しさせていただいた。

地球に生きる一人として

我が社はコンピューター・ソフトウエアの販売やサポートがその主業務であるため、お客様には技術系企業のトップや専門家の方も多く参加された。講演後にいただいた感想には、近年の目覚ましい技術進歩を考えると私の悲観論は杞憂となる可能性もあるのでは、というコメントも少なくなかった。これは日本の技術が世界の最先端であるということ、そして日本で「石油ピーク」に関する報道がほとんどなされていないことを考えると当然の反応であろう。

私も、減耗する石油資源を補う速度で技術が進歩することを心から願っていることには変わりはない。火星に行く人類が、自動車に代わる環境を汚染しない新しいタイプの乗り物を作れないはずはないし、プラスチックや薬品をはじめとするあらゆる製品も、石油以外のもので作ることも近い将来には可能になるだろう。

資源は有限という視点のない現在、石油ピークの影響が出始める前にそれらを達成できるかといえば疑問だが、私が石油ピークの最初の講演を始める前日に、朝日新聞が「強まる石油ピーク説」と題した記事を一面に掲載し、そこには1990年代後半からエジプトやシリアなど6カ国、2000年以降は北海油田を持つイギリスやノルウェーなど7カ国の油田で生産量が減少に転じ、中国など四カ国が横ばいになったと書かれていたので、この認識が広まれば急激に変わることもありうるだろう。

一方で私が悲観的になるのは、過去百年間の技術進歩を振り返ったときである。技術によってわれわれの暮らしがより豊かになった一方で、技術を誤って使うことで地球には進歩をはるかに上回る危害が加えられた。

例えば技術の進歩は戦争をより暴力的に、手軽にした。アフガニスタンやイラク戦争のように、高度技術を持つ大国は技術のない小国に簡単に戦争をしかけることができるようになったのである。わずかな数の兵士が、その命をあまり危険にさらすことなく大勢の人間を殺すことが可能になったのは技術のおかげだ。もし米国とアフガニスタンの技術が同レベルなら、戦争で両国に同じ数の犠牲者がでるために、大勢の米国人の命を犠牲にする戦争なら「共産主義と戦う」とか「石油のため」とか「多国籍企業の利益」といった理由で米国が簡単に始めることはできなかったはずである。

そして戦争が頻繁におきるから、平和憲法を持つ日本も再び戦争ができるようにしないといけないと政治家や財界が言うようになってしまった。日本には1億2700万人を食べさせるだけの食料もエネルギーもないのだから、世界のあちこちが戦場になれば、日本が頼らなければならない国(米国)が行っている戦争に協力するために「集団的自衛権」が必要だという話になってきたのである。

人間がより良く生きるため、または好奇心から新しい技術を作り出し、それによって地球がより住みやすい楽園になる、という未来像を私も描きたい。しかし技術は強者をより強くし、簡単に弱者を略奪できるようにすることを可能にしたために、地球上には現在、19世紀よりはるかに大きな貧富の差がもたらされた。

また技術によって人口が急増した一方で人間以外の多くの生物を絶滅に追いやった。『サイエンス』誌によれば世界的に鳥類の11%の種が絶滅の危機にさらされているほか、2050年までにすべての種の25~50%が地球から姿を消すか、生き残るために必要なだけの個体数を維持できなくなるだろうという。これらも技術の誤った使い方による環境汚染が原因である。環境汚染も地球資源の減耗も、すべて技術進歩とともに起きている。

現代社会に達成された技術進歩のなかで、戦争の技術も含めて、安くて豊富な石油なしに達成されたものは何一つない。そして技術を進歩させてその有限の資源が減耗していくということは、地球においては自然の理なのだ。結局、地球上で起きていることはすべてつながっており、切り離して考えることはできない。だからコンピュータソフトを売る仕事をしている私もエネルギーや環境のことを考えていかなければならないと思っている。ビジネスマンである前に私も、または誰でも、この地球に生きる一人の人間なのだから。