地球温暖化防止のため、先進国に対して温室効果ガスの排出削減目標を定めた京都議定書がようやく2月16日に発効した。温室効果ガス排出量の削減目標は、米国の離脱もあって現実的には必要な削減量には足りないが、それでも紆余曲折を経ての発効は意味がある。
素晴らしい日本人の自然観
京都議定書の発効レセプションで日本を訪問したノーベル平和賞を受賞したケニアの環境副大臣が会見で、「海外での環境対策への支援のほか、企業活動に対する国際的な環境倫理規定作りを主導してほしい」と日本政府に求めたというが、この地球環境の将来を日本を含む先進国が大きく左右することは間違いない。
しかし温室ガスの総排出量の24%を米国が出していることを考えたとき、地球温暖化などの環境問題をまったく軽視するブッシュ政権の影には、エネルギー産業など財界の姿以外にも、その宗教観が強く反映されていることがわかる。私の米国の友人たちは、ブッシュ政権の政策がイデオロギーと神学を混同していることを強く懸念している。
たしかにブッシュ政権の言動と行動をみると、イラク侵攻も環境問題への無関心さも、聖書を言葉通りに信奉するキリスト教原理主義の影響を受けている。日本のメディアがどの程度米政権の宗教観を報道しているかわからないが、米国が環境問題を軽視する理由の一つが、大統領はじめ大勢の政治家や官僚の信仰だとしたら、「日本は神の国」と言った首相を失脚させた日本人はどう思うだろうか。
キリスト教原理主義者は人類の終末、つまり「ハルマゲドン」の到来を信じている。そしてハルマゲドンが来ても信徒であれば救世主として再臨するキリストとともに神の国の建設に参加できる(ラプチャーと呼ばれる)ため、地球が破壊されることは良い知らせなのである。したがって環境破壊などどうして思い悩む必要があろうか。さらに聖書によれば、聖地イスラエルを支援するのも当然で、米国のイラク侵略もすべて聖書に書いてあるということになる。
2002年のタイム/CNNの世論調査によると米国人の59%は聖書の「黙示録」の予言を信じているという。洪水も飢餓も干ばつも地震も聖書が予言しているのだから、どうしてそれを心配する必要があろう。ラプチャーで救われるのに気候変動を心配する必要はないし、キリストが救ってくれるから石油の枯渇も心配はいらないのだ。だから京都議定書など意味がないというのがその言い分である。
ブッシュ大統領自身はボーン・アゲインとよばれるキリスト教徒だが、米国のキリスト教徒が全員右翼の環境保護反対派だというわけではないだろう。しかし米国には数多くのキリスト教団が存在し、キリスト教ラジオ局は1600局、キリスト教テレビ局も250局ある。その熱心なキリスト教徒がブッシュを大統領に選んだということだ。
聖書の「創世記」には、神は地のすべてのもの、地をはうすべてのものを人に支配させようといったと書かれている。この考え方が地球を人の欲望のままにすることを正当化し、促進した。米国では200人以上の議員を含む多くの国民が聖書の言葉を信じ、ハルマゲドンを待ち望んでいるらしい。それは聖戦で命を差し出せば死後、天上の楽園にいけるというアラーの教えを信じて、9月11日に貿易センタービルに人間爆弾として突入した行為を思い出させる。ハルマゲドンといえば日本では10年前その到来を信じ、また自分をキリストにだぶらせた麻原彰晃率いるオウム真理教事件があった。あの時も信者に優秀な若者が多くいたことは驚きだったが、多くの米国人が聖書の予言を信じ世界が終末を迎えると思っているのもそれと同じかもしれない。
「自然」と調和する しかし地球の運命はキリスト教原理主義者だけが決めるべきではない。世界には仏教徒もイスラム教徒もその他さまざまな信仰を持つ人、持たない人がいる。そして、森の木を切りすぎるのも天然資源を使いすぎるのも、水や空気を汚染するのも神のなせる業ではない。人間がしていることなのだ。
残された日々が短くとも私は清潔な家に住みたいし、破壊された景観ではなく美しい自然を味わいたい。日本の古代からの自然神道の考え方はキリスト教の教えと対極にあり、自然とは調和するものであって人間が支配するものでは決してなかった。白人に殺されたアメリカ先住民にとっても地球は母なる大地だった。人とのつながりだけでなく自然や生き物との強い親和と共感の感情を持つことは、ハルマゲドンの到来を待ち望むよりも人間に幸福をもたらすと私は思う。地球の将来を考えたとき、その素晴らしい自然観を持つ日本人の役割はきわめて大きい。