2期目の就任演説でブッシュ大統領がもっとも強調したことは「自由の拡大」であり、演説では「自由」(フリーダム、リバティ)という言葉を42回も繰り返した。自由という言葉はたしかに魅力的だ。しかし今の米国をみると、支配者たちだけが自由にふるまえるような世界を作ることが目的のように思える。
発言の自由奪う米の詭弁
世界に自由を広げようというブッシュの言葉とは裏腹に、米国内では言論の自由が危うくなっている。多くの米国人は、言論の自由が守られることには賛成だが、その内容が自分の考えと異なって不快な場合は別だと思っているらしい。このために政府の見解やメディアが喧伝している内容と異なる意見をおおやけに発表するとたちまち検閲にひっかかるというのが今の米国で、言論の自由は政府に逆らわないということが前提条件のようだ。
アメリカ先住民の血をひくコロラド大学教授のワード・チャーチル氏は、先住民問題で著名な活動家で著書も数多くある。問題となったのは、氏が9月11日の攻撃は米国の外交政策によって引き起こされたというテーマで書いた論文で、ある大学は講演会をキャンセルし、講義するコロラド大学は教授の懲戒免職の可能性について審議しているという。チャーチル氏は主張を撤回するつもりはないとし、私も論文を読んだがなぜそれほど批判されるのか理解できなかった。
自分と同じ意見の人の文章ばかりを読むことがよいとはいえないし、一般に言われていることがほんとうに正しいかどうか自分で疑問を投げかけてみることは大切だ。全てを知る人などいないのだから、特に大学はさまざまな意見が交換される場所であるべきだ。
チャーチル氏の論文は、世界貿易センターで犠牲になった人々をナチの戦争犯罪人に例えたことが批判の的となっている。米国が誇る国際金融帝国の象徴でもある場所で働いていた人々は、米国が行った湾岸戦争や経済制裁の報いを受けたのだ、というのが彼の考えだ。
そして9月11日の事件は「人は自分が相手にしたことを、相手から受け取ることになるのであり、それが現実のものとなった」にすぎないのだという。私を含めて、アフガニスタンやイラクへの攻撃を反対する人はチャーチル氏が学生に危険思想を教えているとは感じないだろう。基本的に彼が言っているのは、剣に生きる者は剣に死ぬ、ということだ。
チャーチルはこうも言った。「長いことそこにいたからと言って、おけの中の犬がおけの権利を持つということに同意できないし、その権利を認めない。だから、たとえばアメリカ先住民やオーストラリアのアボリジニに悪行がなされたとは思っていない。彼らは、より強い、より上位の人種、より賢い人種(白人)に住む場所をとって代わられたというのが事実なのだ」。これは同じチャーチルでもウインストン・チャーチルの言葉だ。チャーチルはまた「私は未開人種に毒ガスを使うことに賛成だ」と言い、1920年代、イギリスは毒ガス兵器を中東で使用したのである。同名であったために思い出したのだが、このような思想の持ち主であったウインストン・チャーチルは、今でももっとも偉大なイギリス人の一人として見なされている。
私がこのコラムで書くことの多くは大手メディアやエコノミストと反対のことが多い。私は自分と異なる意見も目を通すし、私が違っているとして新しい事実やデータを示され、それに納得すれば考えを変更する。納得しなければ反論されても聞き流すだけだ。また私の意見に同意してもらえなくても、それは相手の問題であって必ず説得しようとは思わない。だいたい人の考えや言うことを統制することなど、できるはずはないからである。
米国では2月、CNNテレビのニュース部門の最高責任者だったイーサン・ジョーダン氏が辞任した。原因はダボスで開かれた世界経済フォーラムの討論会でのジョーダン氏の発言だった。詳細は明らかにされていないが、イラクで死亡したジャーナリストの何人かは米軍が狙って殺したとでも受け取れる発言をしたためだ。大手メディアは沈黙したが漏れ伝わった発言に反発した人々がインターネット上で同氏を追及したのだという。しかし現実には、ジョーダン氏の発言内容が虚偽であったという証拠はない。
今月初めにイラクで反米武装勢力から解放されたイタリア人女性記者が米軍に銃撃された事件で、米軍の説明とイタリア人記者の説明が食い違っている点は興味深い。米軍のファルージャでの行動を世界に知らせようとするジャーナリストを米軍が疎ましく思う可能性は否定できないからだ。いずれにしろ、世界に自由を拡大しようとしながら自国民やジャーナリストの発言の自由を奪うことは米国お得意の二重基準であり、詭弁なのであろう。