No.675 戦争下で生きる民のために

ブッシュ大統領がイラクに攻撃を開始してから2年がたった。先日イラクの場所を知らない日本の大学生が約44%もいるということが日本地理学会地理教育専門委員会の調査で分かったという。世界の国の場所と名前をすべて言える人のほうが少ないのは当然だろうが、イラクで起きている出来事やそこに自衛隊が派遣されているということを考えると、これはかなりさびしい数字である。地理や歴史など他の国について知らないといえば米国の学生だと思っていたが、ようやくこの点でも日本が米国に近づいてきたという証拠だろうか。

戦争下で生きる民のために

 日本の米国化といえば、かつて日本も「普通の国」になるべきだという主張をした政治家がいた。軍事力を持たず経済発展に集中して経済大国にはなったが、政治・軍事大国にはならないとするありかたをその政治家は「普通ではない」とみなしたのである。

 最近、その期待通り普通の国になってきた日本を危ぐする記事がフィナンシャルタイムズ紙に掲載された。日本のナショナリズムがアジアの近隣諸国が心配するほどふくらみ、右翼団体が街宣車で鳴りたてるスローガンと変わらないことを日本の政治家たちが使うようになったためだとしている。

 たしかに、ロシアには北方領土の返却を迫り、中国と領土や石油をめぐって対立し、君が代を斉唱しない先生を処分するといった最近の政府の姿勢は近隣諸国が不穏な動きと感じるかもしれない。さらに加えて米国とミサイル防衛で協力し、脅威の対象を北朝鮮、中国とし、後ろだてとして日本が中国を封じ込める軍備拡張をすることを歓迎する米国がいる。

 日中関係を振り返ったとき、日本が中国を脅威として敵対視することを私はよく理解できない。日本と中国は、長い歴史を通じてよい関係を築いてきた。例外は鎌倉時代に元が2回攻めてきたが神風が吹いて日本が助かった時と、1850年代から日本がアジアにおける西欧列国の帝国主義をまねて軍事政権となった時代である。そしてその軍事政権は1945年、日本が模倣した本物の西欧の帝国主義者によって倒された。

 日本政府が西欧を模倣し、その手下か仲間のような役割を果たすことは日本国民にもアジア諸国のためにもならないと私は信じる。アジア圏とひとくくりにはできないくらい、アジアの国々はそれぞれ個性のあるすばらしい文化を持っているが、その差異は姿かたちを含めて西欧との違いにくらべればずっと小さいと思う。

 そのアジアのなかで、20世紀において西欧列強の帝国主義を掲げて軍事進出したことに次いで、戦後アメリカの属国としてとっている日本政府のさまざまな行動に対してアジア諸国が懸念を持つことは当然である。

 アジア地区で米国がもっとも阻止したいことは、そこで国々が団結して協力戦線をはることだ。それをさせないためにも日本と中国、日本と北朝鮮、というように互いに敵意を持たせること、互いに脅威とならせることを米国は求めている。そしてその脅威を守るのは唯一米国だと日本に思わせる。このアメリカの作戦通りに行動している日本政府はアジアを分割統治する戦略においてもっとも貴重な質草といえるだろう。

 「普通の国になる」ということは「戦争をする国になる」ことの符号だ。日本国民でそれを求めている人は少ないが、それで最も大きな利益を得るのは米国である。なぜならアジアは分割され、日本を軍事占領し続けることができる。

 日本人の税金が在日米軍基地の費用を負担し、またミサイル防衛システムでは日本のお金と技術の両方が使われ、日本人の税金で自衛隊をイラクに派兵しイラクを攻撃するために行っている米軍を助けることは、これまでも米国の属国であった日本の地位が、さらに深い意味で属国となったことを示す象徴的な出来事である。

 3月1日、イラクのフセイン元大統領の弁護士が記者会見を行い、イラクを占領している国はイラク国民に補償をすべきだと述べたという。また国際法の下においては米国の攻撃、占領そのものが国際法違反であるためフセインは今でもイラクの合法的な指導者であるとし、米国のイラク攻撃は八千年以上もさかのぼるイラク文明を終わらせるためにイラクのすべて、指導者だけでなく博物館から古文書、国宝まですべてを破壊するためのものであり、日本国民からのサポートを強く求めると言ったと、アルジャジーラの記事は報じた。

 たとえイラクの場所は知らなくとも、広島、長崎の原爆という人類史上初めての核兵器攻撃を受けた国の国民なら、戦争下にある国において生きることはどんなものかを知っているだろうという期待をもって、フセイン元大統領の弁護士は日本で会見を行ったに違いない。