4月はじめ、国際通貨基金(IMF)は世界経済報告書を発表し、今後の原油価格動向について、中国やインドにおける需要の急増から原油相場は引き続き高騰するという予測を発表した。発展途上国の生活水準の向上が原油需要を増やし、とりわけ自動車の増加が消費量を押し上げるとしている。当然ながら日本でもガソリン価格が急上昇し、「湾岸戦争以来」の高値になっている。
石油価格高騰に備えを
私が環境やエネルギー問題に興味を持つようになってもうすぐ1年になるが、このところ急速に、少なくとも英語の世界では石油の減耗について取り上げたニュースが増えている。中国の石油消費が急増し、2030年には全世界の石油消費量の4分の1を占める米国の現在の消費量に追いつくといった予想も出されているが、そうなるよりずっと前に価格の高騰によって石油消費量の大幅な減少が余儀なくされると私は見ている。いくら楽観的な予測をもとに議論したとしても石油生産のピークと、それによる石油生産量の減少が人々の視野に入ってきたことだけは確実だといえる。
以前から主張しているが、この石油ピークという現実を前に日本が国家としてとるべき選択肢は二つしかないと私は考える。石油の不足とそれによる石油価格の高騰に国家が政策として対策をとり始めるか、または何も対策をとらずに、ごく近い将来、昭和48年の「オイルショック」を再び経験することだ。
オイルショックでは、産油国の通告で原油価格が一気に高騰し、高度成長のまっただ中にあって石油に頼り切っていた日本は大混乱となった。省エネをはじめさまざまな取り組みがなされたが、しかしいつからか再び地球の資源は無限であるかのような行動を企業や人々はとるようになってしまった。現在と当時のオイルショックの違いは、新たな石油の発見もあった70年代と比べて、今ではもう大油田の発見はなされていないということである。
日本の主流メディアが好んで起用するエコノミストで、このような警鐘を鳴らす人はほとんどいない。市場至上主義、科学技術至上主義の立場に立つ人々は石油に支えられたシステムから利益を得ることで成り立っており、彼らがもっとも大切とする「短期的な利益」をおびやかすものは邪魔でしかないからだ。エネルギーにおいて素人の私が石油ピークの情報を集める場合、もっとも信頼できるのはエコノミストやジャーナリストではなく、石油会社を引退した地質学者であると思っている。企業の制約から放たれた専門家の分析は信頼できるが、一方でエコノミストやジャーナリストの記事は誰が資金援助をしているのかを考えるべきだろう。
石油がなくなることはないと信じることは確かに楽な方法である。大量生産、大量消費、大量廃棄という生活を変えることは、ほとんどの企業や個人にとって大きな変化を余儀なくするからだ。または自分が変わらなくても、技術や科学の進歩が解決してくれると考えることも、これまでの進歩をふりかえるとそれほど荒唐無稽なことではないようにも思える。しかし現実は、人々が想像するほど科学技術の進歩は早くはない。
原子力が代替となるという人には、その問題点はさておいても、安い石油エネルギーの投入なしには原子力はおそらく成り立たないだろう。ウランの採鉱、精製、原子力発電所の建設、核廃棄物の処理、保管、これらのプロセスのどこにおいても多大なエネルギーを必要とする。石油の減耗により高価になった石油によっていったいどこまで原子力発電が成り立つのか、ただでさえこれまでに一社の民間企業も原子力発電所を建設したことはなく、すべての原発が国のプロジェクトで行われた事実をあわせても答えは明白だろう。
日本の過剰なまでに進んだ経済体制を、風力や太陽光エネルギーでまかなえるとはいくら楽観的な私も信じていない。しかし今のうちに、まだ代替エネルギーに移行できる余裕のある今の段階で、徐々にそれらへの投資を始めることが何よりも大切なのである。なぜなら一度石油価格が高騰し、IMFの予測通りになれば、電気や水道といった基本的な社会のインフラをカバーするための発電装置を新たに製造することも困難になってしまうからである。
中国や北朝鮮が日本にミサイルを一つ打ち込めば日本に大きな打撃を与えることはたしかである。しかし石油価格が今の2倍どころか、4-5倍になったときに、農業を含むあらゆる産業を石油に依存している日本に与える影響は、ミサイルを大きく上回ることは確実だろう。