No.683 人間中心の社会指標を

 「子供の日」にちなんで総務省が発表した日本の15歳未満の推計人口は、昨年より15万人少ない1765万人で、24年連続して減少傾向にあるという。少し前には福島県矢祭町が第三子以上を設けた家庭に新生児一人につき総額100万円を支給するという報道があったが、厚生労働省も少子化対策室を作るなど日本政府やメディアは少子化があたかも大問題であると国民を洗脳したいようだ。

人間中心の社会指標を

 少子化は問題ではない。むしろ問題は、地球は成長しないのに地球の人口が増加し続けていることである。日本の人口がこの小さな列島が支えきれないほど増えてしまったことのほうが問題なのだ。1890年には15億人だった世界の人口は100年間で4.3倍も増えた。人間が使う石油などの無生物エネルギーの消費量は、同時期に93倍も増加している。1920年に5600万人だった日本の人口は2.3倍の1億2700万人にも膨らんだ。しかし少子化傾向によって総人口が減少に転じるため、政府や財界は何とかしてそれに対する施策を施したいとしている。私は、少子化が日本国民にとって問題だというその前提を精査する必要があると思っている。

 少子化が問題だと危機感をあおり、対策を急ごうとする政府や財界は、それに乗じて年金をはじめとした社会保障制度を改革し、日本社会を弱肉強食のシステムに作り変えようとしている。または企業が利益追求のために必要とする消費者を確保したいという近視眼的かつ利己的なもくろみがそこにある。日本経団連の提案には、“経済成長に必要な施策として”少子化対策が不可欠だと書いてある。

 しかし、世界でもすでに進み過ぎるほどの水準に達した日本の経済を、さらに成長させる必要はない。どの先進国と比べても人口密度が高く、食料自給率においては先進国の中でも最低の40%しかない、つまり、海外からの輸入が途切れればたちまち半数以上の国民が飢餓におちいる国が日本なのだ。エネルギー自給率にいたっては主要先進国の中でも最低の4%しかない。そして完全失業率4.5%と、職に就くことができない人が300万人もいる。これらの事実にもかかわらず、日本を支配する政財界の人々は海外からの移民を入れてまで、人口を増やすことを考えているらしい。

 地球は有限である。あたかも無限であるかのように採り、消費している天然資源は必ず減耗する。そこに生きる人間だけが無限に成長することはできないし、経済成長という名のもとに行われている大量生産、大量消費、そして大量の廃棄物から成り立つ先進国のシステムが永遠に続くことはありえない。人間だけが、経済だけが無限に成長しなければならないということが荒唐無稽な話だということを日本国民は早く気付くべきなのだ。

 食料もエネルギーも輸入しなければならないこの国は明らかに人口過剰であり、経済封鎖、世界的な気象異常、または日本政府やメディアがあおるようなアジア近隣諸国との戦争でもおこって日本への輸入が途絶えれば、半分以上の国民が即座に飢餓にあえぐことになるだろう。そんな事態になっても米国が食料や資源を供給してくれると、まさか政治家は考えているのではないだろう。

 少子化傾向は過去24年間続いてきたが、同じく生産性も40年間に大きく向上し、それによってより少ない就労者で多くの生産が可能になった。日本の国民総生産(GDP)統計を見れば、少子高齢化のペースを生産性向上が上回っていることが分かる。政財界のリーダーたちが自分たちの利益ではなく、日本という国家の将来を考えているのであれば、それも地球という視野から日本の人口問題をとらえるのなら、すべきことが日本の人口を増やすことではないことは明らかである。

 労働力不足は、技術の利用に加え、失業者だけでなく高齢といっても十分働いて社会に貢献することのできる六十代、七十代の人々にも生活の糧と生きがいのために働く機会を提供するシステムを構築すれば解決できる。天然資源の減耗は、これまで人手を削減するためにエネルギーを大量に使ってきたやり方から、なるべく人間のエネルギーを使うような方法に変えていくことで対処すべきだ。そしてもっとも重要なのは生活をよりシンプルにすることだろう。

 社会や国家運営の指標は経済ではなく人間が中心であるべきだ。人間を中心に仕組みを考えれば、人口が少なくとも高齢者が多くとも問題は生じない。経済が成熟した国で成長を目指すのではなく、経済成長や人口増を前提とした現在の社会や経済システムを変えること、それが人類と地球が直面している危機を回避し、また人々の幸福度を増す方法なのだ。