No.687 破壊もたらす多国籍企業

 米ニューヨークタイムズ紙のコラムニスト、トマス・フリードマン氏は専門である外交問題のほか、金融市場や情報技術分野に関するさまざまなコラムを書いている。同氏の「The World Is Flat」(世界は平ら)という本が最近出版されたが、そこにはグローバル化推進派からよく聞かれる主張が書かれているので今回はそれを取り上げたい。

破壊もたらす多国籍企業

 この本で、人類の歴史の中で最も貧富の格差が拡大している現代をフラット(平ら)な世界であると同氏は描いている。世界を平らにした起動力はグローバル化で、それが社会におけるさまざまな不平等や不公正をならしていった、だからさらに推進しようというのである。

 しかし、真実はグローバリゼーションとは経済発展を遂げた者の手に権力がさらに集中していくことにほかならない。だからこそ、一握りの大規模多国籍企業がさらなる利益追求のために推し進めているのだ。グローバル化を好ましい世界の流れだと描くことは、著者自身が米国の一部の富裕層の中で権力を手にしていないとしたら、その権力を持つ友人のために書いているとしか私には思えない。そしてグローバル化によって破壊される共同体や自然環境、さらには人命をこの本は当然ながらまったく無視している。

 フリードマン氏はグローバル化を3つの波に分け、最初の波はコロンブスの航海の始まりから1800年まで、2つ目の波は1800年から2000年で、この間に世界はますます小さくなり、変化の媒体となったのは多国籍企業だとしている。そして2000年から始まった3つ目の波を起こしているのは「個人」だと彼は主張する。歴史認識が大きな問題となるのは同じ事象についても立場によって見方がまったく変わるためだが、同氏の見解は、富と権力を握った多国籍企業が市場経済、民営化を通してグローバル化を推し進めるための歴史観なのである。

 フリードマン氏は例として、インド人の優秀な技術者が作ったソフトがインドから衛星回線で米国に送られて、コールセンターではニューヨークからの問い合わせをインド人が応答するなど、グローバル化によるフラットな世界では、インドの若者が米国人の雇用を奪うことができるのだと主張する。しかしこれで本当に利益を得るのは誰かを考えれば、米国人の5分の1の賃金でその職に就くインドの若者ではなく、彼らを雇用する多国籍企業だということは簡単に分かるはずだ。

 多国籍企業が安い労働力を求めて拠点を移す、すなわちグローバル化によって、世界が公平や平等になることなどあり得ない。なぜなら力を持っているのは多国籍企業であり、ただ単に仕事を下請けに出すという産業革命の時代と同じように、権力階級にある人がその地位を維持する別の方法にそれはすぎない。インドの最初のグローバリゼーションの波がイギリスによる東インド会社だったとすれば、独立で終わったその植民地政策が、多国籍企業の下請けとなることで再び植民地化に向かっているということもできる。

 情報技術の分野についてもフリードマン氏は誤った提示をしている。平らな世界のトレンドとしてオープンソフトウエアの動きをあげていることだ。オープンソフトウエアとはリチャード・ストールマン氏が提唱するもので、氏はソフトを自由に公開し、欲しい人は誰でも共有できるようにすべきだと主張する。しかしここでフリードマン氏が書かなかったことは、ストールマン氏が企業の独占や知的所有権を強く批判しているという事実である。つまり、オープンソフトウエアの精神は企業の貪欲さに対する批判なのである。

 グローバル化は世界を平らにするのではなく、フリードマン氏のように排他的な世界観を持つ人々の周りに壁を築き上げるものだと思う。そして壁の中に住む人々の目には、多様性にあふれた世界の美しさは目に入らないのである。われわれが築くべき公正で持続可能な世界とは、一部の者だけに権力と富を集中させる壁を取り払った共存共栄の社会でなければならない。そこはフラットで一様な世界ではなく、多様性を尊重し、協力的で地球の資源を分け合うことがベースになった世界である。

 社会や環境に対する規制の取り払われた世界市場で、多国籍企業が好きなように略奪をできるようにすることは、共同体や地元経済、各地方の文化を破壊して世界に二極化をもたらす。その状態をして世界は平らだ、と見ることはごう慢な高みの見物にも等しい。