No.689 持続可能な社会への希望

 原油価格が高騰し、最高値を更新し続けている。影響が出ている業界はあっても一般の人々が日常生活においてそれを痛感するには至っていないが、そろそろ中国やインドでの需要急増や中東の供給余力が少ないといった理由ではなく、石油の減耗という事実を広く知らせる時ではないかと思う。

持続可能な社会への希望

 油田を半分まで採掘してしまうと、生産効率が悪化して採れる石油の価値よりも採掘にかかるコストのほうが高くなる。現実に世界に石油を提供している多くの油田がそれによってすでに減産に転じている。最大の産油国、サウジアラビアの最も大きい油田では石油を採るために海水を圧入しなければならなくなっている。

 考古学者であるジョセフ・テインター氏の書いた『The Collapse of Complex Society』(複雑な社会の崩壊)という興味深い本を読んだ。同氏は、人類の歴史において社会が崩壊してきた理由を「複雑性の増大」という視点から分析している。例えばローマ帝国は、社会経済的な問題を解決するために行った投資がもたらす見返り(マージナルリターン)が減少したために崩壊したという。文明が進み、社会の複雑性が増すにつれて研究開発投資は多くの人の利益になるものから、現代の高度医療のようにより狭い領域の、難しい、多くの費用をかけなければ解決できないものへとシフトしていくためである。

 この本では、人類は問題解決のために社会や国家を形成し、発展してきたという見方をしている。最初は構成員の社会政治的な問題を解決するために投資をして大きな利益が得られるが、複雑性が増えるにつれて得られる利益が減少し、あるポイントを経過すると投じたエネルギーよりも利益が満たなくなる。石油の減耗もこれに当てはまる。エネルギーはまず入手しやすいものから使い、それがなくなるとよりコストのかかるものを使うようになり、そのために見返りは減少していくのだ。そして増えるコストと減る利益を長期的に維持することができずに社会や国家は崩壊してきた。

 工業化された文明社会を好ましいと思うのであれば、その崩壊は大惨事であり、恐怖であろう。複雑な社会への投資リターンが減少することが崩壊をもたらすという指摘が正しければ、われわれのすべきことは社会をよりふさわしいレベルにまでシンプルにしていくしかない。無駄を省くためにプロセスを見直すのである。

 この考古学者の主張は、石油の減耗が広く知られていないように今の日本社会において主流な見方ではない。多くのエコノミストは、経済さえ立て直せばすべて克服できるとしているし、科学の進歩によってそれが可能だと考えられているからである。しかし複雑化し過ぎた現在において、資源が有限である限り、科学技術の進歩のために多くの資本や資源を投入するということは他の経済分野に向けられるはずだった資源がそちらに回されることであり、代替となるエネルギーが出現しない限り必ずしわ寄せはくる。

 日本をはじめとする工業社会はその限界収益の減少のポイントに達したのであろうか。それを実証することは困難だが、言えることは石油の減耗という事実だけに焦点を当てても、工業社会がいかに石油をはじめとする化石燃料に強く依存しているかということである。それを考えれば、限界点にすでに達したか、または近い将来達成することは避けられないだろう。

 しかし、その崩壊を悲観論としてとらえる必要はない。歴史的な見地からみたら、われわれだけが特別な人間なのではなく、これまで無数の社会や国家がたどってきた道と同じ法則が摘要されるに過ぎないし、一時的に回避策をとったところで、長い間には崩壊を含む大きな変化に人類は常に直面している。

 国家が行う追加投資による見返りが減少した例として挙げたローマ帝国は、経済が維持できなくなって崩壊した。しかし、それがもたらしたものは混乱や困窮ではなかった。ローマ帝国は崩壊したが、多くの国民は重税から解放されて生活状況は改善した。われわれが直面しているのは石油の減耗だけではなく、水や森林その他の天然資源も同様だ。

 そう考えたとき、現代の社会や政治、経済の制度が崩壊に向かい、新しい制度に変わる可能性にあるという希望に焦点を当てればよい。急激な崩壊は痛みや苦しみを伴うかもしれないが、マヤ文明が何百年もかけて衰退した歴史を考えると、われわれはより持続可能な社会への再考に長い時間をかけることもできるということだ。