インターネットでロイター通信のサイトを見ていたら、そのタイトルに目が行った。コンピューターから送られてくるさまざまなニュースは自動的に次々と画面に提示され、そして時間とともに古いニュースはアーカイブに送られていく。前後する記事には特に関連性もなく、しかしそれだけに、隠し立てすることなく物事を私たちに気付かせてくれる。
口と行動で示す原則の違い
一つ目の記事は“米国政府が大量破壊兵器の拡散防止で新措置をとる”とあり、大量破壊兵器の拡散防止の一環として、北朝鮮やイランなどの国と取引のある企業の資産を凍結するというものだ。そして二つ目は“米政府、プルトニウム生産再開へ”というもので、米政府が冷戦期の1980年代、製造を中断していたプルトニウム238の生産を再開する計画を進めていることをニューヨーク・タイムズ紙が報道した記事であった。新たに生産されるプルトニウムの使用目的はもちろん秘密で、国家安全保障のためで核兵器や宇宙兵器などではないという。原爆に使われるのはプルトニウム239で、238は原子力電池などに利用されるがその放射性毒は239よりも数百倍高く、放射線による環境汚染が問題視される危険なものだ。
このように米国の政策とは、自分がやってよいことでもほかの国にはやらせない、または米国はほかの国には禁じていることでも、米国にはそれをする権利があるというものである。この偽善こそが米国のいつものやり方で、二重基準とも呼べるこの政策のもと、他国には大量破壊兵器の拡散防止をうたいながら自国はプルトニウムを生産する。核兵器製造に利用するのではないという言い訳は、その放射性廃棄物が人体や環境に及ぼす影響を考えると詭弁である。
イラク攻撃も米国の二重基準から始まった。残酷な独裁者サダム・フセインは倒さないといけないとして始めたイラク戦争は2年目に入り、イラク主権移譲1周年の演説では攻撃開始の理由と正当性については触れずに、米国を攻撃するテロリストの避難場所であるためイラクに駐留することは米国の安全保障なのだと、論理的根拠までもがすり替えられた。当初連合軍として参加していた30数カ国のうち、既に12ヶ国以上が撤退または撤退計画を表明しているのも当然であろう。
さらには、独裁者サダム・フセインを倒すことが開戦理由の一つだったが、米国はこれまでに少なからぬ「独裁者」を援助し資金やサポートを提供してきた。フィリピンのマルコス、ハイチのデュバリエ、ルーマニアのチャウシェスク、コンゴのモブツ、イランのシャー、チリのピノチェト、インドネシアのスハルトなど、フセインに劣らない独裁者たちだった。
大量破壊兵器の拡散防止で新措置をとるというも北朝鮮についても、米国の対応は二重基準そのものだ。北朝鮮が米国に対して事態を打開するために朝米間で不可侵条約を締結することを提案したが、大国である米国が弱い北朝鮮と交渉する必要などないとばかりに米国はそれを拒否している。
北朝鮮の周りは中国、ロシアそして韓国と日本には米軍基地がある。核兵器に囲まれていながら北朝鮮だけは核兵器を持ってはいけないというのが米国の言い分なのである。イランにも米国はウラン濃縮関連活動の恒久停止を求めているが、隣国イスラエルが核兵器を持っていることは認めていながらイランには核兵器を持つなということも二重基準にほかならない。
歴史を振り返れば1941年、米国はイギリスなどとともに日本への経済封鎖を行い、自国領内にある日本の全資産を凍結し、貿易、金融などすべて断絶した。当時日本は輸入必需品の8割を凍結された地域に頼っていたため、それは日本経済を窒息させるに等しかった。こうして12月8日、日本海軍は真珠湾を攻撃した。米国と同じ権利を日本が有していたとすれば、それは米国による経済戦争に対する日本の安全保障のための攻撃だったといえる。しかしもちろん、自国の国益を定義しそれを誰が脅かしているのかを決める権利を有していたのは米国だけであった。
原爆と占領に抵抗できないとあきらめた日本は、こうして他国には大量破壊兵器の使用を禁じ、自国は大量破壊兵器を開発・保有して他国を改革し、指導する権利があるとする米国に追随するようになったのだ。しかしそろそろその指導者が口で教える原則と行動で示す原則の違いを見分けるようにならなければいけない。ニュースを見ていればそれを示す事例が数多く報道されている。