ウォールストリートジャーナルといえば、工、商、金融業界、政治家といった支配者層に影響力を持つ米国の新聞であり、同時にそれら支配者層のプロパガンダ機能も果たしている。特に社説や解説を読むと、世界のエネルギーや環境問題について同社が持っている基本姿勢がはっきりと分かるときがある。
個人主義はうまくいかない
米国民一般についていえば、インターネットなどを活用して環境面で問題が起きていることを認識している人は多く、昨年はニューオリンズやフロリダが破壊的なハリケーンの被害を受けている。温暖化とハリケーンの因果関係についてメディアは無視してきたが、それは以前から警告されていた。国家を方向付ける地位にある財界や政治家、または大新聞は、これら現実に起きた問題に合わせて人々の関心を集め、それに焦点を当てれば、米国という一大国家に持続可能な社会の構築に向けての変化を起こさせることができたはずだが、米国の支配層にそのような動きはまったくない。
ウォール街を代弁するこの新聞に書かれていたことを要約すると、以下のようになる。「米国では一部の環境推進派が子どもたちを洗脳して自動車は環境破壊の元凶だと教え込んでいる。しかしこれは産業革命のころのラッダイト運動(イギリスで産業革命に伴う機械の普及で失業の恐れを感じた労働者が起こした機械破壊運動)にも等しい。環境保護派は機械の代わりに自動車を敵対する対象としている。昨年ニューオリンズを襲ったハリケーンの際、政府が貧しい人々に提供しているバスや鉄道の切符は何の役にも立たなかった。逆に、自動車、それも環境派が敵対するSUV(スポーツ・ユーティリティー・ビークル)がなければ死者の数はもっと増えていただろう。貧困層にも自動車が普及していれば、劣悪の避難所に行った人の数はもっと減っていたはずだ。自動車は過去百年間における発明の中で最も人間に多くの自由を与えたものの一つであり、個人主義と米国の象徴なのだ。それなしに生活はできず、子供たちに自動車が環境に悪い機械だと教えることは無知にも等しい。個人主義の米国人は混んだバスや地下鉄には乗りたくない。だからもっとガソリンを安くする政策を米国政府はすべきだ」というものだ。
日本でどのような展開がなされているかわからないが、環境保護運動家たちはワールド・カー・フリーデーを組織し、昨年秋、ヨーロッパを中心に四十以上の都市で都市部から車を締め出し、公共交通機関や自転車を推進するイベントが行われた。同紙が「個人主義」を声高に主張するのは、明らかに世界の多くの場所で、また米国の中にも、それとは逆の動きが大きく、しかし確実に広く起きているためであろう。
このような場を通してメディアがどんなに無視しても、希望を捨てずに提言を行い続けようと私が思っているのは、たとえどんなに不可能だと思われるような大きな変化でも、予測できない形でそれが成し遂げられると信じているからだ。一例として、80年代に誰が世界の大国の一つだったソ連が崩壊することを予測したであろう。ベルリンの壁が崩壊したように、ウォール街やワシントンがいくら人々を洗脳しようと試みたところで、その反動は急速に起きる。そしてこれらの変化をもたらすのは政府や官僚ではなく一般国民だと思っている。
年明け、小泉首相は「景気もだいぶ明るさがでてきたが、こういう時こそ、さらに改革を進める必要がある」と閣議で述べたという。首相就任五年で失業者数、失業率、自己破産といった社会の負の統計は急増し、年間三万人以上の自殺者がでている。ホームレスも生活保護受給世帯数も増加をたどる。それでも小泉首相は「改革なくして成長なし」という方針を堅持するという。バスや鉄道の切符より自動車に乗ればいいというウォールストリートジャーナルの解説や小泉首相の改革は、「パンがないなら、お菓子を食べればいい」と言ったマリー・アントワネットの言葉を思い出させる。
有限の地球において資源の消費を抑え、廃棄物の量を減らさなければならないのは先進国である。そしてその中でも特に努力を払わなければならないのは世界で最も多くのエネルギーや天然資源を独占し、二酸化炭素を排出している米国である。しかしそれを模倣し、貧富の格差を広げて国民を分断し、国家の抱える真の問題に取り組むことなく近視眼的に自分の利益を追求する日本。有限の地球で個人主義はうまくいかないことに気付くのには時間がかかるだろうが、それがソ連の崩壊と同じような形で来ないことを願いたい。