No.724 部下に柔軟性と信頼を

今年も春になり、我が社にも新入社員が入社した。新しく仲間になった社員の緊張した面持ちを見ると、私が米国で最初に社会人になった40年も前のことを思い出す。

部下に柔軟性と信頼を

30歳で日本で起業をし、日本での生活が人生の半分を越えたが、振り返ると今日まで経営を続けてこられたのも、日本の先輩たちから学んだこともさることながら、数年間であったが1960年代に米国企業で働いた経験が確実に私の礎となっている。

私が最初に就職したのは、当時米国が進めていたアポロ計画に関わりNASAを顧客とする宇宙関連産業の大手企業だった。そこでは出退社時にタイムカードを押さねばならないきまりがあり、私も規則に従いタイムカードを使っていた。しばらくして異動になり、新しい上司にタイムカードを提出すると、驚いたことに彼はそれを破ってごみ箱へ捨てた。そして私に、自分が上司でいる間はタイムカードは不要であること、社内規則だから使わなければいけないと言う人がいたら上司の指示だからと言いなさい、もし文句があれば自分に言うようにと言った。

彼の理屈は、われわれがこの会社に雇われたのは仕事をするためであって、ただ出社すればよいわけではない。そして自分の部下が会社にいる時間をマシンやほかの人間に記録させなくても、部下の仕事の量や質を完全に評価できると思うから、というものだった。彼は極めて厳しい、要求の高い人だったが、また同時に部下一人一人が最も効率よく働ける方法で仕事をすべきだという強い信念を持っていた。

誰もが同じ速度で同じことをやるのが最適なわけではないのは、人間にはそれぞれ自分にとって最も効率のよい速度があるからだ。そしてまた、自分が属しているチームには同じようにふさわしいペースがあり、そのバランスがとれたときが最も良い結果を生み出す。

彼のような上司の下で仕事をしたことはとても幸福だった、と今になって思う。60年代の米国企業には、部下を信頼し、違いを尊重する、それでいて最適な結果を求めようとするバランス感覚にあふれた管理者がいたのだ。

もう一つのエピソードは、初めて出張したときのことである。西海岸のオフィスからワシントンDCへ一緒に出張したとき、私が道中に使った交通費や電話代などの費用を細かく書き留めていると、彼はそんなことに時間をかけるのは時間の無駄だからやめて、その代わりに会社が自分をワシントンに送り出した、会社の目的のためになる仕事に集中しろ、と言った。

会社のシステムは、出張にかかるであろう費用を前もって支給するというシステムだったので、彼は自分の秘書に残ったお金と使った領収書を渡せばいいと言った。今は人を減らしてすべて機械化されている米国だが、当時は経費の精算もすべて秘書任せの時代だった。

そして彼はこうも言った。「われわれはいつも完全に正直でなければいけない。出張で家を離れるのだから、食事代を含めて家にいればかからなかったであろう費用は会社に請求すればいい。でも会社のお金を、ぜいたくな食事や遊びのため、または友達におごったりといった、出張先に自分が送られた目的以外に使うべきではない」

会社が大きく官僚的になればなるほど、さまざまな細かい規則や手順が社員に強制されるようになる。そして正直に守っているかどうかを警察官のようにチェックする人も必要になる。しかしそれらのルールは、もし社員が完全に正直であれば無視することができるのだ。つまり会社に必要なのは規則や手順ではなく、正直であることだ。

私が日本で会社を作ったときこの上司のやり方をモデルとし、チームの協調という和を乱さない範囲で、構成メンバーがそれぞれに心地よいペースで働くことを奨励したいと思った。そして細かい規則をなくすために正直であることの重要性を社員に説いてはいるものの、会社にはまだ、たくさんの規則や手順がある。

電子メール、インターネット、そのほかのさまざまなツールが提供されている今日、本来なら労働者はもっと多くの柔軟性を持って、自分のペースで仕事ができてよいはずである。しかし私を含めて多くの管理者は、私が40年前に与えられていたのと同じような柔軟性と信頼を部下に与えてはいない。経営者として、いまだに40年前の上司ほどにもなっていない自分を歯がゆく思うのはこんなときだ。