4月に入り原油価格は1バレル75ドルを突破した。しかし日本の主要メディアはその原因を、イラン核開発をめぐる情勢の不透明さなどとし、原油の生産量そのものが頂点に達したという「ピークオイル」にあるということには、相変わらずほとんど触れることはない。
石油高騰はピークオイルにある
それに反してピークオイルについてのコラムを書いて以来、読者の方からいただく質問やコメントで最も多いのはその成り行きに関してである。食料自給率・エネルギー自給率の低さ、そして農業就業者の高齢化という現実を直視し、自ら農業へ就くことを前向きに検討しているというメールを下さった方もいるほどだ。私自身、いろいろな方の力を借りて家庭菜園の充実を図り、現在、排せつ物を微生物の働きで堆肥分解して堆肥として使うためのコンポスト・トイレを庭に設置するところである。
私は石油がなくなるといって人々の恐怖をあおるつもりはない。ピークオイルは石油が近々なくなる話ではなく、地球にある原油埋蔵量の半分を掘り出した時、つまりピークを越えることによって、残りの石油を生産するためによりコストがかかり、これまでのように石油が豊富な安いエネルギー資源ではなくなるということだ。
米国の地質学者、ハバート氏は1956年に米国アメリカの石油生産は70年にピークに達するだろうという予測をして嘲笑され、それが正しかったと分かったのは80年代になってからだった。同じようなことが世界規模で起きてもおかしくないし、私は地質学者ではなく素人にすぎないが、そのために行動することは地球の有限性を考えても間違った方向ではないと信じているので、偽りの警告と非難されても平気である。
70年代にピークオイルを経験した米国は、今では国内で消費する石油の約三分の二を輸入に頼っている。人口の割合では世界の5%にすぎない一国で、世界で一日に消費される石油の約25%を使っている。インドや中国の急速な経済発展と急増する石油消費を考えても、われわれがすべきことは明白な気がする。ピークは2005年ではなく20年後だという人がいるが、20年なんてあっという間だし、新たな海底油田が発見されるとか代替エネルギーが開発されるといった予測をもとにピークオイルを一蹴する人には、それらが現実になってから言ってほしいと思う。
毎日の食生活を考えてほしい。例えば納豆一つとっても大豆は中国産で、石油を使って日本に運ばれ、作る過程でも石油が使われ、納豆になってからは石油を原料とした容器に入れられる。トラックで運ばれ、食料品店の冷蔵棚に並べられて食卓に到達するまでどれくらい石油が使われているか。食後のコーヒーに至っては何千キロも旅をしてきたためにもっと多くの石油が使われている。調理にも石油は欠かせない。先進国で推奨されている一日の必須1カロリー当たり、平均7カロリーの石油燃料が使われているという研究結果があるが、ファストフードなど安い輸入野菜を多用している食事なら石油消費量はさらに増える。
自分一人が行動したところで何も変わらないと言う人は、皆が地元で生産された食料を買うようになればどれほどのエネルギーの節約になるかを考えてほしい。人間と食料は切り離すことはできない。朝の食卓で、それがどこで作られ、どうやって運ばれてきたのかを子供たちと話し合うこともあなたにできる活動だ。
大地震の後、津波が来ると分かっていればそれを人に伝えるのは当然のことだ。ピークオイルも同じである。これまで滅びなかった文明がなかったように、この文明を支える石油は減耗する。津波がくる前に、変化に対応する余裕のあるうちに、できる準備はしておけばよい。
個人レベルでは、自動車よりも鉄道を利用し、買い物も流通の問題から多種商品を配置することが難しくなる大店舗から、昔のような小さな専門店へ移るだろう。便利なプラスチックやビニール容器が希少になれば、地元の商店に容器を持って買い物に行くようになるかもしれない。昭和の時代を生きてきた人はこれらを退行と感じるかもしれないが、好むと好まざるとにかかわらず受け入れなければならないのであれば家庭菜園と同じく、楽しみながらそれをやりたい。
もちろん願わくは国民のことを考える政府が3兆円を米国の軍事基地に使うのではなく、食料対策に真剣に着手して欲しい。しかしそれに合わせて国民一人一人が行動をすることも、私は必要だと思っている。