在日米軍再編により発生する沖縄海兵隊移転の経費負担が3兆円だということに対して、額賀防衛長官が2兆円未満だと反論したり、ローレス米国防副次官は3兆円という数字は日本側から提供された数字だと言ったり、いずれにしても日本政府が国民を欺いて巨額のお金を米軍のために使おうとしている状況が見え隠れする。
お金に加えイラクに派兵されている自衛隊員は撤収どころか航空自衛隊の任務を拡大し、さらに米軍の物資輸送などの支援を検討しているというし、日本社会で格差が拡大しようとも米国への奉仕を最優先する与党政府は傀儡政権以外のなにものでもない。
少し前に、読者の方が公立の小中学校で文房具代や給食費などの援助を受ける生徒の数が増えているという記事を送ってくれた。いくら小泉首相や竹中大臣が、景気が上向きになり個人消費も回復していると言ったところで、トップの富裕層が数字をつり上げているだけで、日本が米国のような格差社会になりつつあることは間違いない。給食費を払えない児童が増え、保険料を払えず国民健康保険の適用を受けられない世帯が30万世帯も出ていても、政府はそうした補助金を切り捨てながら、米軍の経費を負担し、傭兵のように米軍のイラク侵略を支援し続ける。
日本の政治家が、米軍が日本を守ってくれるから米国に言いなりにならなければならないと思っているとしたらそれは大きな間違いだ。米国人である私が保証する。米国人は日本人のために自分たちの血を流すつもりなどないということを日本人は知っておくべきだろう。
日本が模倣し追随する米国では、同時多発テロの後、愛国法と呼ばれる法が成立している。これは恐怖心と報復感情をあおって国を団結させ強化する法律で、テロの定義はあいまいなままFBIなど捜査当局の権限が大幅に拡大された。日本でも「愛国精神」を法律に盛り込もうとしていることは偶然ではないだろう。
米国で生まれ育った私だが、気が付けば日本での生活のほうが長くなった。愛国精神についていえば、私の感情は自分の生活を支えてくれている仲間や自分が属する共同体を愛する気持ちはあっても、日本の現政権を愛する気にはとてもなれない。愛情は自然に芽生えるもので、法令化しようという裏には国家を戦争に駆り立てるためという意図を感じる。
今の米国を象徴するのは偏狭な愛国主義に加え、異常なほどの物質主義がある。193センチという長身のため日本で手に入りにくいものを米国から取り寄せることがあるが、それに同封される広告カタログを見ていると文化や伝統とはかけ離れた安っぽい商品しかないことにあらためて驚く。一日15分使うと毛が増えるくし、さまざまな機能を備えた4千ドルのマッサージチェア、20枚のスラックスをしわが付かないようにかけられるハンガー、ビニール製の人工雪セット。国民の多くが健康保険にも加入していない国で、大量の石油と途上国の労働者を利用して作られたそうした製品を米国人はどんな思いで購入するのだろう。
軍隊だけでなく日本は消費でも米国の後を追っている。最も大切なことは経済成長だと信じ、まい進してきたわれわれは、政府から「消費者」という名称をもらい、家の中にはありとあらゆるものがあふれている。それでもまだ買い足りないといわれる。
米国社会は基本的に人間の幸福は収入が多いことだとする社会だ。アメリカンドリームはいつの間にか成り金への道をあおる言葉にすり替わり、人間の成功はすべて所得や財産の多寡で測られるようになった。しかし少し前の日本はそうではなかったはずだ。国を愛するようわざわざ法律を作らなくとも、自分や家族、自分が属するコミュニティーに責任があることを知っていた。ましてや政府が米軍のために素晴らしい住宅を作ったりイラク侵略を支援するために自衛隊を派兵するのではなく、日本国民の教育や健康、社会保障や福祉を優先する政策を取るようになれば、愛国を明文化する必要はないだろう。
そろそろ日本国民も米国に追随する政府の行動を、自分に責任はないという姿勢を止めたほうがいい。はんらんする広告に流されて人生に不要なガラクタを追い求め、世界に戦場を求める米国式価値観を見直すほうがいい。持続可能な価値観と連綿と続いてきた国家の歴史を持つ日本ならそれは難しくはないはずだ。