No.734 石油消費型社会を見直せ

5月になってからガソリンの店頭価格が平均で1リットル135円と、湾岸戦争直後の1991年2月以来の高値となっている。

石油消費型社会を見直せ

私の主張するピークオイルに対して、米国の知人から反論のメールがきた。それによると、石油需要の急増が供給不足をもたらしているのではない、という。北米市場では原油はニューヨーク商業取引所で取引されていて、そこで何が起きているかというと、どれくらい価格が上がると消費者が購入を控えるだろうかという市場心理によって、トレーダーが価格を30ドル、50ドル、そして70ドルとつり上げている。

トレーダーは消費者ではない。入札した石油をもっと高く転売できる限り、彼らは価格をつり上げる。そして、例えばガソリン消費を減らすために人々が自動車に乗らなくなるとか、飛行機の燃料サーチャージ高騰のために航空券が売れなくなるとか、ガソリン高騰によってトラック輸送が減って流通システムに変化が起きるといった、基本を超えた構造的な変化が起きれば、石油価格は安定し、下がることもあるだろうという。

現在の石油高騰の理由としてこれは確かに正しい分析だろう。しかし現在の石油高騰を市場経済の仕組みのせいだけにすることは近視眼的であり、国内石油生産が1970年にピークを迎えた米国が、世界の残る石油をとるために戦争をしていることの説明も必要だ。

ガソリン価格の高騰は良いことだと私が言えば、また反論がくるかもしれない。日本のガソリン税は1リットル53.4円で、政府が減税すれば価格の上昇が抑えられるなどと言う人もいるが、すべきことは減税ではなく、石油を使った持続不可能な消費型社会を見直すことである。

石油に依存し続ける限りいずれ社会は不安定になり、石油の高騰は貧しい人々に打撃を与える。米国のような自動車社会はなおさらであろう。

米国の政治家はガソリン高騰の怒りを、高利益を上げる石油会社へ向けさせようとしているが、石油商人は人々が欲しがる有限のものを提供していれば価格が上がるという、資本主義ゲームの規則にのっとってビジネスをしているにすぎない。

石油に代わる、例えば水素も、魔法のエネルギーではなく現時点では水素を作るためにより多くのエネルギーを必要とする。代替燃料としてのエタノールも投資家が関心を寄せているが、同様にとても石油の代わりになるものではない。政治的要因をあげるとブッシュ大統領がイラン攻撃をちらつかせるだけで石油価格が高騰する仕組みになっている。結局イランは世界の石油埋蔵量の約10%を持っているからだ。

このような世界情勢において、現実的に考えて、日本がとるべき道はやり方を変えることしかない。安くて豊富な石油が可能にした生活や仕組みを見直すのだ。

石油を節約する一番の方法は使わないことである。水素やエタノールのような代替エネルギーの奇跡を信じて、いままでと同じペースで電気やガソリンを使い続ければ、ある時突然、もっと激しい形で厳しい現実に直面しなければならない日がくるだろう。

まだ時間はある。何度も繰り返すが、石油は来年や再来年になくなるのではない。しかし現在使っている石油を産出している巨大油田が発見されたのが40年も前であったこと、近年新しい巨大油田は見つかっていないこと、そして先に述べたように石油に代わる安定したエネルギーがまだ実用段階にないことから、石油が今後ますます希少になり、資本主義ゲームのルールに従えば高騰し続けることは明らかだ。

産業革命とは化石燃料時代のことだった。われわれの孫か、もしかすると子供たちは、その終焉を体験することになるかもしれない。それを避けるか遅らせるためには、または少しでも苦しい目に遭わないような形で終焉を迎えるには、エネルギーの使い方を変えることだ。そのためにはガソリン税を下げるのではなく上げるほうが需要を抑え、ほかのものに目を向けさせる効果的な方法となる。

日本語に「もったいない」という言葉がある。成長を目標とするこれまでの考え方を節約(減量)へと方向転換し、自動車から鉄道の利用へ、新しいものを買うのではなく修理して使うこと、輸入品から地元の産物へ、いらないものを買わないようにするなど、身近なことからできることはたくさんある。

小さなことでも多くの人々が変化を起こすことで、政治も社会も変えられる、と私は信じている。