No.736 富の格差もたらす構造改革

厚生労働省は2006年版労働経済白書の草案を公開した。それによると、雇用者全体の3割以上を占めるパートなどの非正規雇用は正社員に比べて賃金上昇が実現していないこと、また二十代の所得格差が拡大し固定化が懸念される上に、三十代から四十代の正社員でも成果主義賃金の導入で所得格差が広がっているという。

富の格差もたらす構造改革

政府与党が構造改革で格差は広がらない、規制緩和などによって結果の平等でなく機会の平等が保障されるといくら言い訳をしたところで、国民が感じとっている格差拡大が“気分”だけでなく、実際に数字でも裏付けられた。小泉構造改革によって米国のような格差社会にしようとする政府の試みは着実に成果を上げており、厚生労働省の白書は一つの切り口に過ぎないといえる。

この改革を国民はただ傍観しているべきではないと理解し、活動している人々も数多くいる。それは頂くメールや講演先などで出会う人々から感じるが、そうした草の根的な活動が盛んになるのに比例して、それを消そうとするために大手メディア、テレビや新聞のマインドコントロールもますます強まっている。

大手メディアとその支援者は既成のシステムの上で利益を得ており、「改革」を旗振りしているのはその「保守派たち」である。無駄な公共事業をやめ、すべて民間にという、あたかも小泉政権が既得権益者たちと戦うようなイメージをメディアが作り上げることで、結局はその改革で政府は責任を逃れ、国民には自己責任が押し付けられていく。

自由な国として米国を憧れる日本人は多いが、米国を「アメリカンドリーム」の国だと信じている人はどれくらいいるのだろうか。誰でも頑張ればビル・ゲイツのようになれる国、それが米国だと思っている人がいたら米国人の私がそれを訂正したい。

貧富の格差が広がったとはいえ、まだ今の日本は米国ほどのひどい格差社会にはなっていない。しかしこれからも与党自民党がさまざまな法案や規制緩和、つまり「改革」を続ければ、もちろん数年後には米国に追いつくことは確実だ。

米国でどの程度貧富の格差が固定しているかを、アメリカン大学のエコノミスト、トム・ハーツが調査した結果がある。米国の世代間においてどのような流動性があるかを調べたもので、そこには予想通りの固定された社会像が映し出されている。

低所得層の家庭で生まれた子供が、米国における所得上位5%の階層へ行ける確率はわずか1%であるのに対し、上位5%の階層に生まれた子供がそのまま成人してもその階層に属することができる確率は22%であるという。これは低所得層に生まれた子供と比べて、富裕層に生まれた子供が富裕層になる確率は20倍も高いということだ。

デンマークの場合、同じような富裕層に生まれた子供が富裕層になる確率はわずか2%であり、ヨーロッパの中で米国並みに世代間の流動率が最低な国はイギリスであった。

この調査を行ったエコノミストが、米国で富が固定される大きな理由の一つとしてあげているのは教育である。

親の富や所得が子の世代にいかに大きな影響をもたらすかは、日本も同じである。かつては出身階級にかかわらずまじめに働く多くの勤労者は子供たちを高等学校、大学へ進学させることができ、そしてこの勤労意欲が企業にとっては忠誠心や高い製品、よいサービスとなって企業を繁栄に導くという良循環が成り立っていた。

日本が米国にならって(または米国の要請に従って)取り入れている構造改革は弱肉強食の自由競争社会を作ることであり、コスト削減こそが市場原理主義の帰結となる。だからこそ、厚生労働省の白書にあるように、企業が正社員の代わりに安く雇用できるパート社員を雇い、または成果主義というあいまいな賃金制度を取り入れ、つまりは最も簡単に削減できる人件費というコストを削減する。これが所得格差の拡大と富の固定化をもたらす結果となるのである。

まったく貯蓄のない世帯が増加する一方で、貯蓄保有世帯の平均額は平成16年で7年前よりも20%も増加している現実。東京二十三区の調査で、公的保護を受けている割合の多さと、その地区の小学生の成績が低いという相関関係が示されたこと。一般国民にはゼロ金利政策を押し付けつつ、日銀総裁は村上ファンドに投資して巨額の金利を手にできる仕組み。そしてこの格差社会を推進しているのが小泉、安倍、麻生、福田といった二世、三世の政治家たちであるということはなおさら象徴的だ。