コンピューターソフトを販売する当社のユーザーを対象とした集まりで、私のように米国から来て日本で仕事をしている女性に講演をお願いした。
生命つなぐ食べ物の価値
長野県の小布施堂という会社で働くセーラ・カミングスさんは日本人以上に日本の文化や伝統に愛着を持ち、欧米人第一号の利酒士でもある。私よりずっと流ちょうな日本語による講演では、彼女のパワフルな、しかし細やかな小布施でのさまざまな活動について語っていただいた。
彼女のチャレンジ精神はいくつもの変化を小布施にもたらしたが、印象に残った話の一つは、赤字の酒造事業に悩んだ社長が、蔵を安く改装してレトルト食品を使った大衆的なレストランを変える計画をしたときの話だ。セーラさんは「蔵人が丹精込めて造る日本酒に、レトルトは合わない」と猛烈に反対し、最終的に彼女が企画をし、黒光りする梁(はり)をめぐらせた蔵に「蔵部」(クラブ)という名のレストランを当初の数十倍の予算をかけて開店したという。
この話を聞いたとき、私はカリフォルニアにある有機野菜を中心にしたレストランを思い出した。私が家庭菜園を始めてから読むようになった雑誌や本でよく紹介されているのが、バークレーのシェ・パニーズというレストランとアリス・ウォーターという女性経営者である。
米国は早くから食が工業化され、外食といえばどこも同じような食事を供するチェーン・レストランが主流である。70年代にヨーロッパを旅したウォーター氏はフランスの市場で新鮮な野菜に出会い、そんな暮らしをしたいと米国に戻ってレストランを始めたという。食は工業化されるものではなく、生産者のそばで、新鮮な素材の持ち味を生かした料理を提供するというものというポリシーのもと、納得のいく食材を使って料理を楽しんでもらうために地元の有機栽培農家とのネットワークを作った。さらには地元の小学校にまで進出し、学校の敷地で野菜を栽培し給食の食材に使用している。
小布施やバークレーでの試みは、現代人が絶滅の危機にひんする前に、もう一度その生き方を見つめ直すための挑戦でもある。ファストフードからスローフードへの転換は、早さや効率をよしとする価値観を、生命に直結した持続可能なものへ転換することだ。
5月に改正食品衛生法が施行され、基準を超える農薬を検出した農産物や加工食品は輸入品も含め、流通が禁止されることになった。周囲から飛散した農薬が付いたものも対象になるという。安全な食を求める国民の声に対応した政策だといえるが、もともとは虫食いのない、見栄えのよい商品を求める消費者が現在の農業を作ったという側面もある。
米国では農業は大きな産業の一つで、ほかの業界同様、安全や新鮮さより重要なのは利益であり、それには農薬や化学肥料なしには成り立たない。その米国で、実は有機栽培を行う農家は急増しており、政府からの補助金が全く出ていないにもかかわらず、90年代後半だけでその数は倍増している。
これはすべて消費者からの要求による。ニューヨークではグリーンマーケットと呼ばれる市場がユニオンスクエアなどで開かれている。これはニューヨーク近郊の農家が参加する青空市場で、野菜や果物、チーズやはちみつなど、収穫したての新鮮な食材が売られる。グリーンマーケットに参加している農家は、土壌の劣化を防ぐために多品種の野菜や果物を少しずつ生産し、環境に配慮して農薬や化学肥料をなるべく使わないようにしている。これによって水源地や地下水への影響も最小限になり、つまり安全な水道水の確保にもつながるのだ。
米国では70年代にも自然回帰の動きがあったが、ヒッピーが時代遅れになったように一過性なものだった。しかし今回はネットワーク化され、さまざまな人たちを巻き込んだ動きになっている。消費者が虫の付いた野菜を選ぶことは、持続可能な生活への転換を選ぶことでもある。人体に有害な殺虫剤が使われてない証拠なのだから、農家は堂々と販売すればよいのだ。
手間をかけて多品種の野菜を有機栽培することは非効率的なことである。買う側にとっては加工されて少人数分だけパックされた、保存料たっぷりの食べ物は効率的で便利だろう。しかし食に関して効率は優先されるべきではない。食べ物の価値は栄養価だけでなく、生命をつなぐ、つまり子孫を通して将来へとつなぐ、人間そのものなのだ。バークレーへ行くことはないだろうが、小布施にはぜひ訪問したいと思っている。