コンプライアンスという言葉がよく聞かれる。企業が信用を築くのには長い時間がかかるが、不祥事によってそれは一瞬にして失墜する。従っていかにコンプライアンス(法令順守)を確保するかが企業の重大テーマになっているのだという。
日本疾病の原因は拝金主義
近年、企業または経営者によって起こされる不祥事の数はこれまでになく多い。業界を問わず脱税、商取引における不正行為、インサイダー取引や経理報告における虚偽記載などが企業経営者やホワイトカラーと呼ばれるビジネスマンによって起こされている。
私はコンピュータソフトの販売会社を経営するが、企業の内部統制強化に向けて、社内のコンピュータシステムにある経営データへの不正アクセスを管理するような製品へのニーズが高まっているのを目の当たりにすることは正直言って当惑している。コンピュータの役割は、人間が時間をかけて行ってきたことを機械化することで効率化された分を、本来人間がすべきこと、人間にしかできないことに充てるべきだと思う。しかし現実は、便利で効率化するツールができても、利益を上げるために労働時間は変わらないし、人間が機械の番人となっているような傾向が強まっている。
私が日本に来て起業をした昭和四十年代、日本では企業のあるべき姿を家訓のように掲げる会社が少なくなかった。「三方よし=売り手よし、買い手よし、世間よし」「公益を先にし、私利を後にすべし」「先義後利」。個人はおろか自社の利益のみを追い求めるのではなく、利益は社会に対する貢献に対する見返りだとして、公をみて事業活動を行っていた企業が日本には数多くあった。もちろん高度成長時代、利益を求めて安全や環境を犠牲にした企業があったことは事実だ。当時の公害問題がそれを如実に表している。そしてその結果厳しい公害規制が取られ、東京湾のヘドロをはじめ、今では多くの場所で環境が改善された。今求められるのは、公害と同じように多くの害をまき散らす企業経営者の「貪欲(どんよく)」をいかに制するか、であろう。
ライブドアや村上ファンドを日本の改革の起動力となる若手経営者として賛辞したのはメディアであり、与党自民党の政治家だった。いくら財界がメディアを利用して規制緩和熱をあおっても、その実現には政治家の力なしには不可能である。一般庶民に無縁の村上ファンドで、ゼロ金利時代に日銀総裁が巨額の利ざやを得ていたが、そこに関与していたのが十年来、政府の規制緩和委員会の座長を務め、規制改革を提言した人物が会長の企業だった。
しかし、米国型市場経済を取り入れた日本で、米国と同じ不祥事が頻発するのは自然な成り行きだろう。規制緩和を叫ぶ日本の財界リーダーたちは、三方よしなどという日本の伝統を捨て、米国型の弱肉強食社会を求めた。権力のあるものがその力やコネを利用して私利私欲に走ることは恥でも何でもなく、当然の権利なのだと言わんばかりに。
今から5年前、米国で起きたエンロン事件は、当初ライブドアや村上ファンドのように時代を先取りする積極的な経営者として多くの賛辞を浴びていた。エンロンの場合、電力の先物取引で新分野を切り開いて急成長を遂げ、2000年には全米売り上げ第七位の大企業だった。しかし実態は赤字会社で、先物取引の自己売買で失敗した取引を数千の非連結子会社を作って隠ぺいしていた。エンロンやライブドア、村上ファンドには「株価至上主義」「企業買収」「粉飾決算」「非連結会社(投資事業組合)」などの共通点がある。
あまりに軽い罰則
しかし経済犯罪の罰則が、それがもたらす損失の大きさとは正反対にあまりに軽いのも日米同じである。2006年7月現在、数年前に米国をにぎわした企業犯罪の経営者で、実際に服役しているのはごくわずかであり、多くの社員から退職金や年金、職を奪った経営者の多くは、いまでも自由の身で、巨額の富を持ったままだ(有罪判決を受けたエンロンのケネス・レイ元会長は今月初めコロラドの別荘で急死した)。
村上、堀江の両氏も同じような道をたどるだろう。社員、消費者、株主に対して巨額の損害を与えてもコンビニ強盗よりも刑期は軽い。1980年代、ウォール街の投資家でジャンクボンド王だったマイケル・ミルケンが典型的な例だ。インサイダー取引や株価操作の罪で懲役10年が下りたが、実際は22カ月で出獄し手には12億ドルという富が残っている。
企業犯罪がシステム的にまん延するのは、罰則が甘いせいもある。しかし本当の原因を解決しない限り企業犯罪はなくならないだろう。その原因とは「貪欲」だ。いくらお金があっても足ることを知らない、もっと貯めよう、もっともうけようという思いだ。戦後日本が米国から取り入れ、日本にまん延している疾病の原因はこの拝金主義にある。