家庭菜園を始めてから、以前よりも空や気温の変化に敏感になった。そしてそれまでは外回りの日などは不快にさえ思った雨の日が、植物や土だけでなく、われわれ人間にも滋養を与えていることを文字通り肌で感じるようになった。もし毎日太陽が照っていたらどんなに退屈だろうか。急に雷が鳴って夕立が来て、そのあと庭に行けば、湿気を含んだ空気の中、植物が生き返ったような緑に輝く。
その気になれば政治は変わる
台風の国である日本は恵み以上の雨が降り、それが大きな被害を及ぼすこともある。だが自然に対してもたらされた打撃は、程なくして、また自然が修復してくれる。問題は人間が作った人工的な構造が被害を受けた場合だ。その修復には多くのお金と時間がかかる。
近年頻発する自然災害は「自然」な事象ではない。雨や台風が増え、逆に干ばつによって砂漠化する地域が広まっているのは、地球温暖化と関係があるのではないかと誰もが思い始めている。
たった数年間の気象データでは温暖化を裏付けることは難しいが、しかし150年も生きる人はいないのだから、疑いをもとに対処するのが賢明な人間のすることだ。日本だけでなく世界で多くの異変が起きており、気候変動の大きな原因が人間による二酸化炭素の大量排出にあるとする意見が出ているにもかかわらず、米ブッシュ大統領は京都議定書を拒否している。
そんな米国政府に対して、自治体レベルで温暖化対策に取り組む動きが米国内で出ている。アースポリシー研究所のレポートによると、米国227都市の市長が温室効果ガスの排出量削減を宣言したという。市長たちは全米市長気候保全協定に調印し、京都議定書に定められた米国の排出削減目標、あるいはそれ以上の削減に取り組むと表明した。協定では2012年までに温室効果ガスの排出量を1990年レベルから7%削減することを提唱している。
参加都市はニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴなどの大都市や、ハリケーンで大きな被害を受けたフロリダ市長も調印している。行動計画はさまざまだが、各市で共通していることは公共交通システムの改善、徒歩と自転車の勧めなどだ。車社会米国に利便性を提供する、その車の使用の抑制こそが最大の温暖化対策なのである。
日本の自治体にも政府目標を超える目標設定や取り組みを進めているところがある。例えば滋賀県は地球温暖化対策にあたり、県民、事業主、行政が協力しながら2010年には県民一人当たりの温室効果ガス排出量を1990年を基準値として15%削減するという目標を定めた。そんな滋賀県で、自民党などが推薦していた現職知事を破って新幹線新駅建設の凍結を訴え草の根の選挙運動を展開した嘉田氏が当選したことは偶然ではない。有権者である国民がその気になりさえすれば、政治を変えられるということだ。
米国政府は、京都議定書の採択の反対理由に米国内の五百万の雇用を奪うということを挙げている。しかしこれが真実だとしても短期的な問題だ。米国の多くの市長たちは、気候変動こそが長期的に、もっと大きな、取り返しのつかない問題を引き起こすという危機感から行動を起こしているのだ。
米国では、洪水やハリケーンのために巨額の保険金支払いを強いられる保険業界も気候変動に取り組む立役者となっている。2005年の調査によると、過去30年で気象災害による損失補償額は15倍になったといい、ハリケーンだけではなく、豪雨や降雪量の減少、蚊の媒介する病気の増加など、業界として温暖化がこれらの問題の原因だという疑いがあるというだけでも、対策に乗り出さずにはいられない事態になっているということだ。
友人でナノテクノロジーの専門家が、石油などの資源減耗問題に対処するためには地下資源の探索ではなく、元素の新たな結合探索、つまり新しい仕組みによる電池、新たな仕組みによる核融合など、ナノ技術による代替エネルギーの探索しかないと言う。同時に彼は、いかに新たなエネルギーを探索するにせよ、一方で大量消費の文化(物質欲の追求文化)が変わらない限り、いたちごっこ(正確には負け戦)だとも言った。私もまったく同感である。
しかし国民の意識が変われば政治家が変わる。そして政治が変われば、さらに国民の環境に対する意識も高まってくるだろう。米国の市長や県知事だけでなく、一般の国民のサポートがあれば大統領や首相をも代えることは可能なのだ。