欧州委員会は2004年3月に裁定を下した競争法違反に関する決定に従わなかったとして、マイクロソフトに制裁金を追徴すると発表した。これはマイクロソフトがパソコンの基本ソフトが独占に近い状態にあることを利用して技術を非公開で基本ソフトに機能を加え、ユーザーを自社製品に囲い込むというビジネスモデルが、ヨーロッパにおいてあらためて否定されたということだ。これに対して同社は欧州裁判所に提訴するという。
狂った資本主義示す「寛大さ」
マイクロソフトといえば会長のビル・ゲイツ氏が2008年には第一線から外れ、6年前に立ち上げた慈善団体の活動に専念すると発表している。フォーブス誌の2006年世界長者番付によるとゲイツ氏の個人資産は約五百億ドル(約5兆9千億円)、12年連続世界一の富豪にランクされている。ゲイツ氏の次に金持ちで投資会社を経営するウォーレン・バフェット氏も、3百億ドル以上に相当する所有株式をゲイツ氏の慈善団体に寄付すると発表した。
ゲイツ氏の財団はこれまで発展途上国の子供たちにワクチン接種を支援するといった健康を目指す団体に32億ドル以上、米国の低所得地域の公立図書館にコンピューター、インターネットの接続、技術トレーニングを提供するといった教育や技術の事業に二十億ドル以上を寄付している。米国ではもっぱら美談として取り上げられているゲイツ氏の活動やバフェット氏の巨額の寄付が日本でどのように報道されているか分からない。しかし私から言わせてもらえばこれらは経営破綻した米エネルギー大手エンロンの創業者でケネス・レイ氏(不正会計行為で有罪判決を受け、量刑が言い渡されるのを待ちつつ心臓発作で先ごろ亡くなった)の行為と同じく、今の米国の象徴的な出来事にほかならないと思う。
もちろん、ゲイツ氏らの富はエンロンと比べけた違いに大きく、欧州連合独禁法は別として、米国の法律を犯しているわけでもない。日本は死者にむち打つ文化ではないということで、すでに亡くなったエンロンのレイ氏をいまさら引き合いに出すのもはばかれるが、しかし彼のやり方は嘘をつき続けて赤字会社を米国七番目の大規模企業に見せかけ、財政基盤は安定していると信じ込ませて社員に退職金や年金を投じさせる一方で、自分は株を高値で売り抜け巨額の富を手にするという、最低の人間だった。
しかし同時に、ゲイツ氏やバフェット氏を尊敬すべき立派な経営者だと賞賛する気にはとてもなれない。違法行為はしていないというが、クリントン政権時代にはマイクロソフトは米司法省から独禁法違反で訴えられている(ブッシュ政権になって和解)。彼らがどんなに能力があり、長時間働いたとか、創造性があったと言っても、一人の人間が一生のうちに5兆円を稼ぎ出すことは不可能だ。少なくとも、正直でまっとうなことをしていたら。言い換えると、それが文字通り血のにじむ努力を払ったものであっても、その対価が5兆円になるべきではないと私は思う。
コンピューター・ソフトウエア業界の経営者として、また利用者として言えば、ゲイツ氏が5兆円もの富を築いたのは、すぐに陳腐化するバグのある製品を消費者に高い値で提供したか、社員に十分な給料を払わなかったからである。12年間、世界の富豪としてランクされる間に、製品価格を大幅に下げるか、社員を昇給するという経営判断もできたはずだし、インドから開発拠点を米国に戻すことで米国人の雇用を増やす決断もできたはずであろう。
バフェット氏も同様である。彼が株式を所有する企業ではバフェット氏のような「株主」の圧力によって企業がリストラを押し進め、何千人もの社員が職を失い、その過程で多くの中流米国人が生活を維持できずに貧困化した。これは米国の『株主至上主義』の記録をみれば明らかである。
ゲイツ財団が米国の低所得地域の公立図書館にコンピューターを寄付しなければならないのは、本来税金によって国が行うべきこのプロジェクトが、富裕者層に大幅減税をしたために税収が不足して予算が大幅に削減されたためなのだ。そして富の大部分がゲイツ氏やバフェット氏といった、ごく少数の人々の手に独占されることなく、多くの勤労者が公正な所得を得ていれば、米国の教育予算がここまで削減されることもなかったのである。
フォーブス誌によると、米国人金持ちの上位400人の所得は過去20年間で3.5倍増え、8億ドルから28億ドルになったという。米国の一般国民はどうかといえば、真の所得はその間全く増加してはいない。バフェット氏ら富裕層の示す「寛大さ」は、美談ではなく米国の狂った資本主義から目をそらさせる事象の一つにすぎないと私は思う。