No.749 地球が第三世界に逆戻り

1年ほど前、米国でベストセラーになった本が日本語に翻訳され話題になっていると聞いた。その本とは、以前このコラムでもとりあげた『フラット化する世界』(トーマス・フリードマン著)である。私の感想はそのときに書いたコメントと変わらない。グローバリゼーションの旗振りをするニューヨークタイムズ紙の外交コラムニスト、フリードマン氏の弁は、突き詰めて言えば経済発展を遂げた者の手に権力がさらに集中していくということである。

地球が第三世界に逆戻り

世界をフラットにした十の力の一つに彼が挙げた巨大企業のウォルマートが最近逆風を受けている。ウォルマートは世界15カ国に6,600店舗を展開、売り上げは3千億ドルという世界最大規模の小売店である。創業者サム・ウォルトンがディスカウントストアとして創業してから、“毎日低価格”(Every Day Low Price)を掲げ、コスト削減を推し進めて急成長を遂げた。

そのウォルマートは今年5月、韓国市場からの撤退を発表した。安いものを山のように積み上げて売るという販売スタイルは韓国の消費者から受け入れられることはなく、現地法人を設立して本格的に進出した国としては初めての撤退となった。7月末にはドイツ国内の85店舗を売却してドイツ市場からも撤退すると発表した。現地企業の買収を通じて進出したドイツだが、売り上げの低迷でこれまでにも数店舗を閉鎖していた。ドイツには約1万1,000人の従業員がいるが失敗の理由は消費者のニーズに合わなかっただけでなく、毎朝唱えさせられる「お客さまが一番」というスタッフミーティングも従業員に不評だったという分析もある。

イギリスでは傘下の子会社Asdaとの問題を抱えている。これまでウォルマートは、労働組合を結成しようとしたカナダの店舗を閉鎖するなど、反労組色の強さで有名であった。しかしイギリスの全国都市一般労組(GMB)がそれを批判し、ストライキの可能性を示唆したためウォルマートはこれまでになく譲歩したという。そして中国では、何と19の労働組合を結成することを許したと発表した。中国の労働組合法では従業員25人以上の組織に労組結成を義務付けているからである。過去において労働組合を結成しようとした店舗を閉鎖していたことを考えれば、これは巨大グローバリゼーション企業、米国式経営の大きな退行といえる。

ウォルマートが弱腰になってきた原因に、同社の売り上げに陰りが出始めたことも挙げられる。米国内ではガソリン高騰によって、車で郊外にあるウォルマートに買い物に行く回数を人々が控えた影響が出始めている。それだけではない。米国の金持ちトップ10人のうち5人がウォルマートの創業者の家族であるにもかかわらず、ウォルマートは最低水準の労働賃金しか従業員に支払っていないこと、また従業員に手当てをほとんど支払わず、そのため政府からの補助を受ける資格がある従業員もいるという事実に対する米国内での風当たりも強まっているからだ。

もちろんこれに対してウォルマートはロビー団体を作ったり、政治献金をするなど抵抗している。また、さらにフラット化を進めるために昨年末、ブラジル、中央アメリカそして日本でも投資をしており、簡単にその姿勢を改めることはないだろう。このウォルマートのやり方をみて私が思い出すのは米国政府の外交政策である。その基本は常に一部の人だけが富を増やすことであり、そのやり方を強引に、例えば民主化という言葉を使って他国に押し付けていく。そしてそれによって世界はますます不安定になり、公平や平等から遠くなっていく。

世界をフラット化するというグローバリゼーションは、台風やハリケーンのような自然災害ではないことをまず忘れるべきではない。むしろ格差を広げ、貧しい国はますます貧しく、一つの国の中においても貧富の差は拡大していく。特に教育を受けた者とそうでない者との格差はさらに大きくなる。

グローバリゼーションや構造改革のような大きな変革は必ず痛みを伴う、と為政者はいうかもしれない。昨年米国ニューオリンズを襲ったハリケーンから一年以上たったが、いまだにがれきは放置され、被害に遭った住宅の半数以上はまだ電気すら回復していない。建物をフラット(崩壊)にするという意味では文字通りハリケーンもグローバリゼーションも同じようなものかもしれないが、いずれにしても最も打撃を受けるのは社会における弱者であり、地球全体が第三世界に逆戻りすることである。