趣味として毎週末やっていたテニスをやめて1年になる。テニス用になっていた自宅の庭も土を入れて今ではすっかり菜園となり、形は悪くても味のよい野菜が食卓に載ることも少なくない。
石油生産量減退に備える
私の経営する会社内には「農芸研究プロジェクト」を発足させ、まだ数は少ないが私の趣旨を理解してくれた社員が自然農法の研究をしたり、菜園作りを始めるという活動も始まった。そしてそれを知った他社の経営者の方が保有地で農園をやってみたいとか、私もこんなふうに農園を作っているというお客さまから連絡を頂いたりして、自分が一歩踏み出すことでまた世界が広がったようなうれしさを感じている。
エネルギー問題においてピークオイルという言葉を知ったのは2004年のことだ。化石燃料である石油は長い時間を経てきたもので、今でも地球内部で作られているが、消費速度はそれをはるかに上回る。埋蔵している石油の総量の半分近くを消費したことを示すのがピークオイルという言葉であり、石油がなくなるということではなく需要に生産が追い付かなくなることを意味する。なぜこれが問題かといえば、日本をはじめ先進国において「経済成長」はなくてはならないとされていて、一方で成長を支えるにはエネルギー資源が不可欠で、資源が有限であればそれは不可能だといわざるをえないからである。
私がピークオイルについて提言をしてから、石油の価格が上下するたびにメールをくれる読者の方もいる。楽観派の方からは、まだ一バレル百ドルにならないではないか、悲観論で不安をあおるのはどうだろうか、と言ったお言葉を頂くこともある。
ピークオイルを呼び掛けているからといって、中東の戦争やハリケーンのたびに原油価格が上昇することを私自身、予測が当たったと喜ぶつもりはないし、原油高騰によって最も打撃を受けるのは富裕層ではなく弱者であることから、価格が上らないことを願っていることには変わりはない。
しかしそれでも、石油会社やエコノミスト、政治家の言葉ではなく、中立的な立場にある研究機関による、石油生産のピークは数年のうちにやって来るという予測は無視されるべきではない。そして人々の暮らしへ与える影響の大きさを考えれば、「ピークオイル」後の社会を念頭においた生き方へのシフトというのは、個人だけでなくコミュニティや自治体、願わくは国家単位で取ってほしいというのが私の願いである。
有限である石油を力ある者が支配したいと思っていることは、米国の行動をみればこれほど明らかなことはない。中東とカスピ海を囲む中央アジアはともに米軍が駐留しているし、また南シナ海は中東からの石油搬出ルートで、尖閣列島などの海底石油の可能性のある地域では日中が領有権を主張している。現在の先進国の生活水準がここまで高くなったのも資本主義や民主主義のおかげではなく化石燃料によるものだ。石油の使用を大幅に減らすことを米国がちゅうちょするのは、車もエアコンもなく、再び人間が身体と時間をかけて労働をする、すなわち生活水準の大幅な低下を意味するからだ。
江戸時代のような暮らしに日本が戻ることは不可能だということには私も異論はない。それには日本は人口が多過ぎる。食料もエネルギーも海外から輸入することなく循環型の社会を維持することができたのは、当時は国土に見合った人間しかいなかったからなのだ。
人類の歴史を振り返れば、人口を劇的に減らしたのは戦争、病気、飢餓だった。昭和の時代には資源を持たない日本が原材料の供給を断ち切られ、国民が失業や餓死するのを防ぐためという理由で、つまり安全保障の必要から戦争に走ったのだという東条英機の弁を思い出すとよい。それと同時に安倍首相が食糧自給率40%、エネルギー自給率わずか4%という日本の軍備強化を急ぐのに危なさを感じるのもそのためだ。
21世紀を戦争の世紀とするのではなく、石油生産量の減退に備えて社会の仕組みを変えていくことを資源のない日本はどの国よりも先に着手すべきだと信じている。そしてまずは個人として、私の作る野菜は微々たるものだが大地の恵みに対する感謝の気持ちを持ち、無駄を減らしながら生き方を変えていきたいと思っている。