米国の大学院で経済学を学んでいたときに教授に薦められて初めて論語を読んだ。思えばそれが、私と東洋の、そして日本とのつながりの始まりだった。孔子の教えは一般の人々というよりは、リーダー、企業であれば経営者、国家であれば政治家や高級官僚といった人の上に立つ人のためのものである。
社会が退廃すると言葉が退廃する
戦国時代の中国で孔子は、利己的欲求を捨てて国家のために貢献できる人物を理想の為政者とした。論語を学んだときに将来自分が米国を捨ててその教えが浸透しているアジアの国で会社を経営することになるとは思ってもいなかったが、これもすべて起きるべくして私に与えられた運命であったのだと思う。
日本で論語は平安時代の貴族、江戸時代の武士たちにとって必読書であった。貴族や武士はその当時の政治家や官僚にあたり、論語が日本の政治や経営の基盤となっていたのである。孔子の理想の実践者で、儒学者を顧問に登用して孔子の思想に政治のあるべき姿を求めた徳川家康が基盤を作った江戸時代が300年も続いたのは偶然ではない。
その孔子が、国家の指導者になったらまず何をするかと尋ねられたとき、言葉を正すと言った。なぜなら社会が退廃すると言葉も退廃し、言葉は行動を正しく映し出すものではなくむしろごまかすために使われるようになるからだと言う。これはまさに退廃した米国政府を言い表している。イラクに民主化や自由をもたらすためにイラクを破壊している現実に、退廃した米国社会の多くの人は気付くこともなく、また言葉と相反する現実に目を向けることもしない。
孔子が2500年も前に生きた人物であったことを思えば、技術の進歩によって口承だけでなく文字や電波に乗って言葉が幅広く深く人々に浸透するようになった現代、言葉の影響力はさらに増大した。真実をねじまげられた意味の通らない言葉でも、多くの人々はそれについて深く考えることも、またその言葉のもと実際にとられている行動を照らし合わせることも放棄すれば、為政者にとってこれほど都合のよいことはない。
大量破壊兵器の保有を理由に米国が始めたイラク戦争から3年以上が経過した。2004年に勝利宣言を行った米国はイラクを統治下におき、多くの米国民間企業によって復興業務が行われることとなった。開戦理由であった大量破壊兵器がなかったという報告書の報道は、いつの間にかなかったことのように消えていった。
孔子が言った、社会が退廃すると言葉が退廃し、よって行動を正しく映し出すものではなくむしろごまかすためにさかんに使われるようになる、といったそのとおりのことが、今世界では起きている。
イラクフリーダム作戦と米国が名付けたこの戦争はイラクをがれきと流血の地に変え、2,700人以上の米軍兵士が死んだ。いつ終わるとも知れず何もかも不透明な中、ベトナム戦争時にも多くの米軍兵士が自殺したが、イラクではすでにそれを上回る自殺率となり、また最前線という極限状態の中で起こる最悪のこと、例えば14歳のイラク人少女を乱暴しその家族四人を殺したかどでは、米兵4人が逮捕されるなどの事件が相次いでいる。
しかしこのような混沌(こんとん)と異常事態でも、この戦争は米国にとって「勝利」なのだ。なぜならイラク戦争は予定通りの成功を米国企業にもたらしている。ブッシュ政権がテロとの戦いに投じてきた数千億ドルが、ロッキードマーチン、ボーイング、そしてハリバートン、ベクテル、カーライルグループといったブッシュ政権と強いつながりを持つ企業へ流れている。イラク戦争は米国が推し進める自由市場経済の大きな実験場であり、イラク人であれ米国人であれ、誰がなぜ殺されようが企業のCEOにとって全く関係がないことなのだ。
孔子は戦争の時代に国家や社会のあるべき姿や政治家のあり方について考え抜いた。今、政府がスポンサーとなって推し進めているイラク戦争では、科学技術が飛躍的に進み生身の人間が戦場でぶつかり合うことはなくなったが、人間の本質はほとんど変わっていないことを示している。
近代、戦争の動機付けとしてさまざまな言葉が使われた。愛国主義、共産主義、独裁主義、ナチズム、社会主義等々。しかし20世紀の二つの世界大戦、そしてイラク戦争、今後日米政府が画策するかもしれない戦争はイデオロギーではなく、商業的な利益のために行なわれる戦いだ。拝金主義に染まった指導者が目指すのは洋の東西を問わず戦争であるということも歴史が証明している。