10月末、経済紙に在日米軍がミサイル防衛(MD)体制の中核をなす地対空誘導弾パトリオット3ミサイルを首都圏の米軍基地に配備する検討を始めたことが報じられた。非公式な日本政府への連絡によれば、横田基地(東京都)や横須賀基地(神奈川県)が候補地であり、北朝鮮の弾道ミサイル発射や核実験を踏まえてMD体制強化を急ぐ方針で、これが配備されれば迎撃体制が稼働する見込みだという。
武力国家は歴史に逆行
この記事が掲載された前後の新聞は、必修漏れの高校で校長が自殺、中学校でいじめが原因で生徒が自殺といった記事が大きく紙面を占め、日本の首都に隣接する米軍基地でこのような殺人兵器が配備される可能性について報じたところはほとんどなかった。
独立国であるはずの日本に、国民の民意を無視してミサイルが配備されるというのは、日本が米国の植民地以外の何ものでもないことを示している。また、ミサイルは米軍のためであって、隣接する東京の約1,500万人の日本人を守るためではないことも明らかだ。
米軍基地が集中する沖縄では、すでにパトリオットの発射台18台が搬入され、16台が上空に向けられていると沖縄タイムスは報じている。米軍は年内には一部が迎撃態勢を整える方針で来年3月までの全面運用開始を目指しているという。ミサイル配備に反対して沖縄県民や市民団体が抗議行動を行ったが、久間防衛庁長官は搬入を阻止しないよう呼び掛けたという。
米軍のミサイルの真のターゲットは中国であって北朝鮮ではない。北朝鮮は米国にとって小さな取るに足らない相手であり、日本に北朝鮮の脅威をかくもあおるのは、米国の政策を日本に受け入れさせるため以外の何ものでもない。さらにミサイルは防衛ではなく攻撃である。中国をけん制、または攻撃するという米国の計画の一部なのだ。もし米国を守るためのミサイルなら米国内や米国の国境に配備すべきであり、中国との国境近くに置く必要はない。
米国の出先機関のような日本の国土に、中国をターゲットとしたミサイルが配備されたら、それは日本にとって何を意味するか。どう考えても、それが日本の安全や平和とは程遠い結果をもたらすことは明白である。米国が中国を脅せば、中国は自分たちを守るためにこれらのミサイルに対して攻撃するだろう。それはつまり、沖縄を危険にさらすことであり、横田基地と横須賀基地にミサイルが配備されれば、その間に住む1,500万人の日本人の生命が危険にさらされることである。
先の大戦で日本は、連合国と戦った枢軸国のどの国よりも米軍からひどい攻撃を受けた。沖縄では住民を巻き込んでの地上戦で20万人以上の人が亡くなり、数々の文化遺産は破壊された。住民を守るはずの日本軍からも沖縄の人々は食糧を奪われたり殺害されたという。その戦争から60年以上がたった今も日本の米軍基地の70%は沖縄に集中し、人々の反対にもかかわらずミサイルが配備されている。
なぜ日本に米軍が必要なのか。日本が戦後平和を維持してきたのは、国際紛争の解決の手段として戦争を放棄し、戦力を持たないという憲法を持っているからであって、日本に米軍基地があるから仮想敵国が日本を攻め込めば米軍と戦わなければならないことを知っているからではないのである。
もし日本の都道府県に対して、沖縄にある米軍基地を管轄内に移転してもよいかと問えば、自治体でも住民投票でも受け入れようというところは一つもないだろう。誰が自分の家の裏にパトリオットミサイルの発射台を受け入れるというのか。これは日本国民の誰もが米軍にいてほしくないと思っていることを意味する。
強い者が弱い者を脅してお金を取ったり、権力をたてに理不尽なことを命じた揚げ句の自殺が日本で急増している。そして日本政府は、子どもたちを「戦争をする国」を担う者として愛国心を持たせるために教育基本法を変えようとするだけでなく、日本を60年間平和な国にしてきた憲法をも変えようとしている。北朝鮮の脅威をたてに軍事優先の国家へ向かわせようというのである。
学校でのいじめの構図は、大国がたくさん持っている核兵器を小国が持つことは許さず、経済制裁といういじめをちらつかせる姿と少しも変わらない。米国の言うなりに憲法を変えて国際紛争の解決手段として武力を行使する国になることは、歴史へ逆行することにほかならない。