No.777 独占から協働の時代へ

チェコ共和国のクラウス大統領は先月、米下院エネルギー商業委員会の公聴会で「環境主義の脅威は、21世紀初頭において自由と民主主義と市場経済の繁栄の最大の敵だ」と語り、「政策立案者は推論に基づいたメディアの大げさな反応に踊らされるべきではない」と証言した。

独占から協働の時代へ

クラウス大統領は2月に日本を訪問した際にも京都議定書を批判する発言をし、地球温暖化議論は科学的言動を欠くと述べたという。人生のほとんどを共産主義の下で生きてきた者として、環境主義の脅威がいま新たに共産主義の脅威に置き換わっているとし、地球や自然保護のスローガンのもとで再びマルクスが行おうとしたような、人間の自由を規制する計画に基づく世界に変えようとしていると彼は言う。

多くの人が共産主義に悪いイメージを抱いている。私は自身を共産主義者だと名乗ることがあるが、毛沢東やスターリンがあれだけ多くの人を殺したのだから共産主義と言わないほうがいいと助言くださる方も少なくない。しかし私の理解では、共産とは「共に産みだすこと」だ。人々が一緒に働き、健康で安寧な生活をするためのサービスや製品を生産し、そこからもたらされる利益を皆で分け合う社会思想だと思っている。毛沢東やスターリンの思想は共産主義のごく一部にすぎない。

経済とは人が生きる上で労働を財やサービスに交換する仕組みであり、その中で営まれる社会的関係である。そして経済の目標は、人々がより豊かにより良く生きるためである。その意味ですでに日本は「豊かさ」を実現した。経済の目標を達成したといえるかもしれない。しかし資本主義はこれで終わりではない。すでに持っている人にさらに消費をさせ、経済を成長させなければいけない。これが資本主義であり市場経済なのだ。

確かに共産主義の計画経済が有効に機能しないことはベルリンの壁の崩壊で明白になった。しかし残った資本主義が完璧なシステムだということにはならない。資本主義は弱肉強食のシステムで、貧富の格差を広げることに人々は気づき始め、利益中心の資本主義のもとでは食の安全や危険な建物といった問題がでていることも周知の事実だ。チェコ大統領が、そして京都議定書を離脱したブッシュ大統領が環境主義を目の敵にするのは、この「金儲け」の自由へ規制を恐れてのことである。

政治家や財界が死守したい資本主義を脅かしているのは環境主義だけではない。社会性の動物である人は、私のように共産主義を自称せずとも「共に産みだす」こと、そしてその利益を皆で分けあう社会を心の底で求めているからだ。人々の行動を見るとそれがよくわかる。自由市場経済や資本主義とは違うところで、自然なかたちで人々は互いのニーズを満たしあっている。反資本主義的からというよりそれはむしろ人に備わった資質であり、近年さまざまな形で起こっている。

例えば、グローバリゼーションに対抗して広まりつつある「地産地消」は、食に対する安全志向から消費者が地元でとれた生産物を消費しようという動きだ。米英で盛んなファーマーズマーケットも同様だし、郷土食や地方の特色ある食材を見直そうというスローフードも草の根的に人々の要求から生まれている。

互いに助け合うサービスや行為を地域独自の紙券に置き換え、通貨として循環させる「地域通貨」や、助けを必要としている人を手伝ったり趣味を通じて社会参加するための「時間通貨」なども、自分の儲けのためではなく相互利益が目的の活動である。

同様にインターネットの上で、ウィキペディア・コミュニティが共同で作成している無料の百科事典や、ソースコードが無償で公開されているオープンソース・ソフトウェアが台頭しつつあることも、利益を求める経済のルールに反して金銭的インセンティブや知的所有権ではなく、人々と共生し、共有したいという本能が人間にはあることを示している。

米国政府やチェコ大統領が認めなくとも、地球の生態系を悪化させてきた資本主義はいま、環境主義だけでなくさまざまな脅威にさらされている。独占から協働の時代へ。新しい経済の種はすでに蒔かれている。