No.782 できることから始めよう

日本社会における格差の広がりはさまざまな統計からも明らかになっているが、この原因の一つがグローバル化にあることはもはや疑う余地はない。

できることから始めよう

グローバル化とは、自由市場、国際投資といった経済原理に基づいて国家を越えて地球が一つの市場になるというものだが、問題はその市場から得る富がごく一握りの人々の手にしか渡らないということである。米国では製造業から始まったグローバル化はサービス産業に広がり、いまや米国の労働者はインドや東欧、上海の労働者と職を競い合い、そして利益を享受するのはほぼ例外なく一部の多国籍企業という構図である。

グローバル化推進派は、多国籍企業のためにも世界を一つの市場にさせるべく旗振りを行っている。例えば、以前にも取り上げたことのある『フラット化する世界』の著者であるトーマス・フリードマン氏は、外交コラムニストとして主流メディアであるニューヨークタイムズ紙でその主張を展開している。

最近、フリードマン氏は気候変動とエネルギー問題についても、彼自身のスポンサーである多国籍企業の活動を支援する内容のコラムを掲載した。それは要約すると、ガソリンをエタノール燃料に替えることで、米国は便利な自動車社会を維持していくことが可能だというものである。主流メディアは、石油に大きく依存した大量生産・大量消費、そして自動車中心の生活を改めることを読者に示唆するのではなく、フリードマン氏を使って、燃料を替えればこのままの暮らしが可能だと信じこませるような幻想を国民に流しているのである。

この冬の暖かさもあって身近になった気候変動だが、重要なことは温暖化は結果にすぎないということだ。温暖化だから石油の使用量を減らすか他のエネルギー資源に移行すべきなのではなく、石油を使いすぎているからこそ、気候変動が起きている。世界のエネルギー消費は増え続け、したがって二酸化炭素の排出量も増える一方である。フリードマン氏がそのコラムに書いていないことは、エタノールで走る自動車が排出する二酸化炭素の量はガソリンのそれと変わらないということ、そしてエタノールはガソリンよりも燃料効率が20%も悪いということだ。

本来人間のための食料であるはずのものを自動車燃料と競い合わせるということが何をもたらすか、それも忘れてはならない。今年1月、メキシコでは主食のトルティーヤの価格が急騰していることをめぐって反乱が起きた。3ヶ月で40%以上も値上がりし、3月には数万人の市民がメキシコ市中心部をデモ行進した。材料のトウモロコシが、米国でバイオ燃料の原料として需要が高まり値上がりしたことが一因である。

なぜかといえばメキシコには、フリードマン氏が旗振りするグローバル化の一つである「自由貿易協定」によって、米国から安いトウモロコシが大量に入ってきていた。1994年に発効した北米自由貿易協定によって、メキシコの工場労働者や大規模農場への恩恵はあったものの、大部分の小規模農民は米国の農民との競争に敗れ、主食であるトルティーヤの原料として安い米国産トウモロコシがメキシコに輸出されるようになったのである。

一部の国の人間が贅沢をするために、貧しい人々を搾取する仕組み、これがグローバル化の現実だと私は思っている。そしてグローバル化を可能にしたのは過去50年間の豊富で安価な石油であった。石油が減耗することで、フリードマン氏がグローバル化の先鋭として賞賛する、たとえばウォルマートのような企業は立ち行かなくなるのだ。

今米国がすぐにでもすべきことは、フリードマン氏が石油からエタノールにすることで永久に続くと国民に信じさせようとしている自動車社会を見直し、米国内に旅客鉄道を整備することだろう。しかし国民に気候変動や石油減耗について警告を発すべき立場にある政府も主流メディアも、そのスポンサーである財界の意図に反すること、つまりエネルギー使用を控え、経済をスローダウンさせるというもっとも重要な行動をとることはしない。

主流メディアの愚かしい記事を目にすると、人間は気候変動で絶滅した恐竜と同じ運命をたどるしかないのだろうかと思う。しかしそれでも、より痛みが少なくなるよう子供や孫のために今日できることはある。国を変えることはできなくても、地域を、自分の生活を変えることはできるからだ。できることから始めるしかない。