No.789 原爆投下は殺傷実験

長崎出身の久間防衛相が6月、米国が原爆を投下したことで終戦が早まったのだから、「しょうがない」という旨の講演をしたことがもとで、防衛相を辞任した。米国が原爆を投下しなければ、ソ連によって北海道が占領されていたかもしれないから、それならば広島、長崎に原爆を落としてもらって戦争が終わってよかった、ということらしい。

原爆投下は殺傷実験

久間氏の発言問題とは別に、米国とロシアの核軍縮枠組み作りに関する会見で、米政府のロバート・ジョセフ核不拡散問題特使は「原爆の使用が終戦をもたらし、連合国側の万単位の人命だけでなく、文字通り、何百万人もの日本人の命を救ったという点では、ほとんどの歴史家の見解は一致する」と語ったという。ネオコンのジョゼフ氏のいう歴史家とは誰なのか知りたいものだ。原爆投下は米国の戦略にとっては必然であったかもしれないが、それによって多くの人命が救われたとか日本の降伏が早まった、というのは米国の嘘である。

米国ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館には、広島に原子爆弾を投下したB29爆撃機、エノラ・ゲイが展示されている。1994年に戦後50周年ということでスミソニアン協会がエノラ・ゲイの展示を企画した。原爆によって広島、長崎の人々が体験した悲惨を改めて考えるという趣旨も含めたこの企画は、退役軍人団体などからの猛烈な批判と抗議で、展示は大幅に簡素化された。史実を研究した歴史家はさておき、一部の人には原爆は命を救った、戦争終結が早まった、という神話があることは確かだ。現在のエノラ・ゲイも「すばらしい技術的成功」として展示され、歴史的背景は一切説明されず、原爆による死傷者などの基本的情報さえもない。

1945年8月6日、エノラ・ゲイが落とした原子爆弾は14万人の人を殺した。その半分以上は、女性や老人、学生や幼い子供たちだった。それでもこれを「しょうがない」と言う神経は、米国へのへつらいか無知か、いずれであっても防衛相というだけにやるせない。

原爆擁護派は、原爆で戦争が早く終わった、本土決戦を回避できた、と言う。しかし、そうであっても、解決策を原爆と本土決戦という2つの選択肢に絞ること自体があまりにも非人道的だ。しかしこれが言い訳であることは、公開された文書などで明らかになっている。

1944年10月、日本の連合艦隊はフィリピンのレイテ湾で米海軍に大敗した。これによって石油など、戦争遂行のために必要な資源の供給源が絶たれ、B29による本土空爆が始まった頃には日本の戦争遂行能力はすでにほとんど失われつつあった。原爆投下の2週間前、マッカーサー将軍は、日本は遅くとも9月1日までには降伏すると話しており、ワシントンは7月には、海軍の封鎖とルメイ将軍の焼夷弾攻撃によって、日本は壊滅的な打撃を受けていることを十分認識していた。

原爆投下の正当性のためには、原爆が戦争の勝利を決定的にした、という神話が必要だった。しかしドイツの敗北後、ソ連の対日参戦宣言などで日本の軍事的野望はすでに粉砕されていた。日本政府の暗号はすべて傍受され、日本が降伏に傾いていたことを米国は何ヶ月も前からは知っていた。知りつつそれらを無視してきた。それは原爆投下そのものが目的だったからとしかいいようがない。

原爆投下は、第二次大戦の終結というより、冷戦の始まりと見る人もいる。投下されたのは日本だが目標は共産主義のソ連だったというものだ。原爆を作ったマンハッタン計画に参加した科学者シラードは、バーンズ国務長官が原爆は(戦後の)アメリカの優位性を誇示する、と述べたことを明らかにしている。

また天皇制維持が言及されていないとして日本が黙殺したとされるポツダム宣言だが、米国が真に早期戦争終結を望んでいたなら、7月に戦争を終わらせることは可能だった。今でも日本に天皇がいることは、米国にとって天皇制がどちらでもよかったことを示している。

そしてなによりも、広島に原爆を投下し、日本政府の降伏という反応を待つまでもなく9日に2つ目の原爆を投下したことは、ルメイ将軍さえも航空兵力の浪費だったと述べている。原爆投下が戦争終結が目的ではなく、その殺傷能力を確認するための実験であったとしても、久間氏は「しょうがない」というのだろうか。B29の戦闘砲手として従軍したスチュワート・ユードルの『八月の神話』という本に、これらのことは詳しく書かれている。久間氏のみならず、多くの人に読んで欲しい。