家庭菜園を始めてから、いろいろな方にさまざまな教えを頂きながら、または苗や種を頂戴しながら、野菜や果物作りを楽しんでいる。先日は縁あって、京都で菜園どころか循環型の楽園を作っている人を紹介していただいた。
便利さが地球にしわ寄せ
京都の嵯峨小倉山はトロッコ列車で有名な嵐山にあり、その地に「アイトワ」という名のエコライフガーデンを営む、森孝之氏である。森氏は、電気も水道も下水道も通っていなかったこの土地に40数年前から不便を覚悟で居を構え、野菜や木を植え、人形作家である夫人と、犬や鳥、虫たちと共に暮らしている。そこには約200種1,000本の樹木が生い茂り、燃料、薬木、果樹、日よけなどの役割を担っている。さらに関西初のソーラーシステムを利用し、風呂や暖房は薪を使い、生ごみや落ち葉は堆肥にし、雨水、屎尿、台所排水と下水も分け、菜園では常時何十種類もの野菜を作っている。
森氏の生き方の素晴らしいところは、このような暮らしをして禁欲を説いているわけではなく、実際にビジネスマンや大学教授として活躍し、自らの経験をもとに太陽エネルギーの範囲内で、真の意味で豊かに生きることを人々に伝えようとしていることだ。約3,000平方メートルのエコロジカルなこの生活空間には、夫人の主宰する人形教室や喫茶室があり、エコライフガーデンは一般に開放されている。
私自身はエネルギーや環境、食糧問題を自分自身の問題として考えるようになって3年以上がたつ。当初は何をして良いかわからなかったが、影響力のある政治家や財界が変わるのを待つのではなく、とにかく自ら行動するしかないと、自分ができる小さなことからやり始めた。アイトワの循環型には遠く及ばないが、菜園にやる水として雨水をカメに貯めて使うようにしたり、西日の入る部屋の前にゴーヤを這わして緑のカーテンを作ったり、アイデアは先達たちの知恵を拝借しているにすぎないが、お金を出してコピー製品を使って便利な暮らしを目指すのとは逆に、手間と工夫が必要な生活は、実は贅沢な生き方なのだと実感している。
そうしているうちに、石油に過度に依存する工業文明がいつしか石油の減耗によって成り立たなくなる、または別の形にかわっていくことを余儀なくされる、という私の予測が当たろうがはずれようが、どちらでもよいと思うようになった。なぜなら自然の恵みに感謝し、工夫をしながら身体を使って暮らすことの心地よさを知ったからであり、いずれ厳しい現実との直面を経てこの体験に至るのも、それは仕方ないことかもしれないと思うのだ。
最近も米国で、雨不足と干ばつの異常気象が猛威をふるっている。カリフォルニア南部で発生した山火事では非常事態宣言が出され、25万人に避難が勧告された。ネバダ、バージニア、フロリダなども干ばつで、ジョージア州では水不足で非常事態宣言が出されている。ゴア前大統領がノーベル平和賞を受賞した米国を襲う地球温暖化の影響は、今に始まったことではない。1980年代半ば以降から気温上昇により山地の雪の融解が早まり山火事が頻発し始めた。川の水は冬季の山の冠雪からもたらされるため、山の雪が早くなくなると河川の水量のピーク時期も早まり乾燥期間が延びて山火事が起きやすくなる。カリフォルニアは私の故郷だが、そこはもともと砂漠であり、その土地に住んでいた先住民は別として人が、その地に住むためには安くて豊富な石油がなければあり得なかった。
ピークオイルだけでなく、米国のサブプライムローンの焦げ付き問題で投機筋の資金が金融市場から原油市場に流れ込み、原油相場の急騰が続いている。カリフォルニアには水もなく、アリゾナやコロラドといった近隣の州から水を運んでこなければならないが水を輸送するにも多くのエネルギーを必要とする。食糧自給率40%、米国から多くの農産物を輸入する日本が今後影響を受けないはずはないだろう。原油の高騰、食糧不足とくると、日中戦争の末期に日本が経済封鎖を受け、石油の全面禁輸から戦争へ突き進んだことを思い出す。
アイトワの森氏は、スローライフに見えるが実は秒刻みで忙しく、それが刻々と変わる自然と付き合うことだ、と笑う。それはわれわれの便利な暮らしが自然や地球に多くのしわ寄せを押し付けていることの裏返しでもある。地球温暖化と心身のバランスを崩した人の増加は、自然と人間のバランスを取り直す時期にあることをわれわれに教えている。