先月末、南極大陸沖合を航行中のクルーズ客船「MVエクスプローラー」が海上で氷山と衝突した。乗客100人、乗員54人は救命ボートに乗り移り、全員が無事救助されてクルーズ客船は南極海の底へ沈んでいったという。
大きな船でも沈む
大自然を楽しむ「エコツーリズム」が人気らしい。南極を訪れる旅行者が年間何万人もいることには驚いたが、そのためのクルーズ客船が、タンクに大量のディーゼル油を蓄えたまま海底に沈むことで引き起こされるであろう環境汚染を考えると、いたたまれない気持ちがする。
今回の事故では、客船乗員によって適切な判断が下されたこと、救命胴衣だけを身につけ、荷物を沈み行く船に残して救命ボートに乗り移ることに乗客たちが逆らうことなく冷静に行動したのは幸いであった。しかし乗船初日に脱出訓練があったというが、南極クルーズに来てタイタニックのような体験をすることになろうとは誰も思わなかったにちがいない。
救命ボートに移って救助を待つ間、客船が浸水し船底が上向きになって沈没するのを見守った乗客は、その後チリ軍基地で一晩を過ごしたあとそれぞれの国へ帰ることができたという。このニュースを読んだときに思ったのは、われわれが今直面しているピークオイル、地球温暖化、そして米国に端を発する爆発寸前の借金バブルのことだ。しかしこの地球全体がエクスプローラーのような運命をたどったとしたら、われわれに戻るところはない。
先進国の状況を氷山に衝突するクルーズ客船になぞらえるのは陳腐だが、危機管理を考えたとき、この比喩は適切な対処をおこなえば少なくとも生命を失うことはないという希望を与えてくれる。しかし問題は、われわれが果たしてクルーズ客船の乗客のように荷物を船に残して救助ボートに移れるかどうかだ。
豪華なクルーズ客船のような先進国の生活を支えているのは石油である。楽観主義者がいくら石油埋蔵量はまだあるといっても、石油生産量は2005年11月に8,600万バレルでピークとなり、それ以降は徐々に減ってきている。減少分は、オイルサンドから抽出されるコストのかかった石油や天然ガスからの液体燃料などでカバーされているものの、それが急増する世界全体の石油需要に追いつかないことは目に見えている。通常、油田の採掘量は40年間で底をつく。多くの巨大油田が1960年代までに発見されている事実を考え合わせると、世界の原油採掘量がピークを超えたことをわれわれは認めざるをえない状況にある。
こうしている間にも減少する石油を使い続け、二酸化炭素を排出し、地球温暖化が進んでいく。国連気候変動枠組条約は、2005年の工業国40カ国による温室効果ガス排出量が過去最大を記録したと先月発表しており、また国連開発プログラムの「2007年人間開発報告書」によれば、早急に対応しなければ気候変動で大きな影響を受けるのは二酸化炭素の排出量の少ない1日2ドル以下で暮らす約26億人の貧困人口だという。
先進国においても、石油会社や自由経済原理主義者たちが温暖化と石油の関係を否定したとしても、より強くなる台風やハリケーン被害、その一方で干ばつが作物に及ぼす影響など、もはや無視し続けることはできなくなっている。米国のアトランタでは今、深刻な干ばつに見舞われている。すでに屋外での散水が禁止され、産業や商業用水の節減も検討段階にはいっている。このまま大雨が降らなければ新年には飲み水にも困る状況に陥りかねない。しかし皮肉にも、アトランタの新聞紙面は干ばつよりも金融スキャンダルの最新ニュースで占められている。
これまでにも幾度か主張してきたが、歴史をみると、どんなに強大な文明社会でも一度衰退し始めるとあっというまに崩壊に至ってきた。そして過去に文明の崩壊をもたらしたのは、資源を使いすぎることによる環境破壊、気候変動、そして敵の侵略だったことを、われわれは肝に銘じるべきである。
南極で沈没した客船に置き換えたら、私は船底にある穴をのぞいて警告を発しているようなものかもしれないが、まだ多くの乗客はこんな大きな船が沈むはずはないと信じているようだ。しかし沈み行く船の中で最後に助けを求めるのではなく、なるべく多くの人がはやめに救命ボートに乗り移ることを私は期待したい。