いつの時代にも、反論をすれば何を言っているのか、といわんばかりに一蹴されてしまうものがある。
国家あげての巨大詐欺
先の戦争で、日本が米国に勝てるはずがないなどと言おうものなら非国民扱いされたように、近代においては、メディアの喧伝がさらに激しくなっているがゆえに、人々の検討や精査の猶予も与えないほど、それ以外は論外とでもいわんばかりのものに「規制緩和」と「民営化」がある。
1990年以降、日本政府がとってきたさまざまな政策が国民にとって改革なのか改悪なのか、それは政府の債務残高、企業倒産件数、民間負債額、または自殺率、犯罪、政府の汚職、といったデータをあわせて見ればよい。日本という国が健全な方向に向かっているのか、それとも、より多くの借金をかかえ、国民が希望を持ちにくくなっているのか、それが明確にわかるはずだ。しかしそれでも、まだ日本政府もそのおかかえエコノミストたちも、民営化、規制緩和の筋書きを改めようとはしない。
これもすべて、日本が手本として仰ぐ米国からの言われるがままの行動なのだ。つい先日も新テロ特措法が強行採決され、中断していたインド洋給油を再開させることになった。これで日本政府はブッシュ政権から頭をなでてもらうのかもしれないが、冷静に米国という国をみれば、このまま隷属していくにはさまざまな意味で危険な国だ。
米国の金融システムはいま、危機的状況にある。明確にいうと、サブプライム住宅ローンの借り手の巨額のデフォルト(債務不履行)と、それが組み込まれて証券化されたさまざまなローンがもたらす損失において、その派生的な性質のために実際の金額が計り知れないほどの巨額の損失が出ている。2008年が大きな変化の年になるとしたら、この危機が表面化し、損失の大きさが人々の知るところ、それどころか日本という国にも影響を及ぼすようになることかもしれない。
米国でエンロンやワールドコム事件などの不正会計問題が頻発したのは、1990年代末から2000年代初頭だった。それに対処するため、2002年にはSOX法なるものが制定され、それは企業会計や財務報告の透明性・正確性を高め、またコーポレートガバナンスの在り方と監査制度を改革し、投資家に対する企業経営者の責任と義務・罰則を定めるという法律だった。しかしその米国で、世界の金融業界をも握る米国最大の金融機関が、あまりにも軽率な行為により巨額の損失を生み出すことを行って世界に金融危機をもたらしたのである。
エンロンと今回のサブプライムローンに共通する点は、米国企業経営者の報酬の仕組みが、彼らの貪欲さを煽っているということだ。その仕組みと大きなインセンティブによって、経営者は企業所得を大きくみせるための行動をとる。それがサブプライムローンのように、企業リスクを大幅に増やすようなやり方をとらせる。そしてそれによって企業経営者自身は巨額の報酬を手にすることができる。こうして、シティーコープ、メリルリンチといった企業の経営者は責任をとって辞任したが、しかしすでに彼らは巨額のボーナスを手にしているはずだし、退職に際してもおそらく痛くない条件がついていたことは想像に難くない。
日本政府や企業に『透明性』を説教する米国とはこんな国なのだ。そして元財務長官だったロバート・ルービンは、自分がボードメンバーだったにもかかわらずこのような事件を防げなかったシティコープの新しいCEOになる。究極の格差社会米国では、勝者は常に勝ち、敗者は常に一般国民なのかもしれない。つまり規制緩和された米国では、ルールなきジャングルにも等しく、ごく少数の企業経営者が不正な会計操作によって自分だけが儲かるような仕組みがあり、それによって一般大衆が被害をこうむろうとも関係ないといわんばかりの社会なのである。
政府与党、そしてそのお抱えエコノミストたちは、いまだに米国の言いなりで、さらなる規制緩和、民営化を進めようとしている。日本を米国のような国にしないためにも、その逆、国民を、日本国を米国から守る規制を政府はいまこそ強化するべきなのだ。国家をあげての大規模詐欺から身を守るにはそれしかない。