No.815 安全保障は大人の責任

中国製冷凍ギョーザ問題で、輸入食品の安全性が取り沙汰されるようになった。「日本冷凍食品協会」によれば、中国からの調理冷凍食品は1997年には3万8,909トンだったものが、2006年には20万634トンと、5倍以上に増えている。また世界から輸入される冷凍野菜は1989年には31万5,354トンだったものが、2006年には83万1,880トンに増えている。食料自給率の低さをいくら説いても、ほとんどの人は無関心を装っているが、ここへきて輸入食品の多さに少しは気づいたのではないか。

安全保障は大人の責任

中国製ギョーザのミステリーは未解決のままだが、いくらメディアが報道をしたところで食料自給率4割という現状で輸入食料に頼るしかない日本は、中国と喧嘩別れできないことは明らかだ。命と直結している食料を他国に依存する国家政策、家庭料理を作ることなど忘れて安くて便利な冷凍食品に頼っている消費者も反省すべき点はある。

中国からの輸入が増えているのは日本だけではない。世界貿易機関(WTO)によると、中国の年間輸出額が2001年12月のWTO加盟から6年で約5倍に拡大し、製品の輸出額では世界2位に浮上している。中国のWTO加盟で、世界全体の貿易取引が加速したようである。

しかし中国が日本へ今後も食料を供給し続ける保障はない。中国では森林破壊によって黄河が干上がり、砂漠化が進んでいる。もうじき中国から黄砂が飛来する季節になれば、そのひどさをわれわれは実感することだろう。水が不足するということは農業にも問題であり、近い将来、深刻な食糧危機が起こりうる前兆なのだ。

もともと人間は一定の地域の中で、バランスをとってそこで取れるものを利用しながら暮らしてきた。日本の歴史はまさにそうであったと思うし、米国でも、北米大陸に暮らしていた先住民族たちは何世紀にもわたって自然と調和した生き方をしてきた。北米の場合は、後から大陸にわたった人々によって先住民族の文化は破壊されたが、近年世界のあちこちで急速に多様性のある文化が崩壊したのは、安くて豊富な石油が使われるようになったためであった。

安価な化石燃料をエネルギーとした、大量生産、大量消費、そして大量廃棄という経済は、グローバル化という波にのって地球を席巻した。石油を原料とする農薬を大量に使用して野菜を作り、冷凍して輸送費をかけて海を越えた国に送るというシステムに、われわれは疑うこともなく依存してきた。これは資本家を富ませるための仕組みでありながら、消費者のためという名目で、これこそ貧困や飢餓とは無縁の進化した社会の姿だと誰もが信じこまされてきた。

しかしここにきてグローバル化が持続不可能だということに人々は気づき始めた。WTOでは米国をはじめとする先進国が、高い関税を課している途上国にその保護政策を撤廃し自由化するよう迫って対立が起きているが、自由化が富をもたらさないことは、グローバル化の始まった80年代初期以降、貧困国でさらに貧困が進んでいる現実を見れば明らかである。富を手にしたのはすでに発展が進んだ先進国側の人々だった。

歴史を振り返ると米国も英国も自由貿易ではなく保護貿易によって世界経済の頂点についた。米国は特に、1830年代から1945年まで、工業製品に対して世界で最も高い輸入関税をかけていた。1858年、日本が米国と結んだ不平等条約は、日本に5%の輸入関税を受け入れさせ、一方の米国は50%という高い関税をかけて自国の産業を保護するものだった。つまり、米国産業界はもっとも手厚く保護されていた。米国が自由貿易を提唱し始めたのは、米国の産業基盤が世界貿易において優位な地位を築いてからだった。

WTO加盟で経済成長にはずみのつく中国では、同時に貧富の格差、地域間格差、環境問題など多くの矛盾を抱えながら進んでいる。われわれは歴史を振り返り、WTOの推進する自由貿易の問題点を現実に照らし合わせて考えてみる必要がある。そう考えると、中国製ギョーザ事件は食料の安全保障を真剣に考えるようにという警告ともとれる。日本は、戦時から敗戦、そして占領期と飢餓や貧困をそう遠くない過去に体験している。子どもや孫たちが同じ道をたどらぬよう大人たちは考える責任がある。