海上自衛隊の最新鋭イージス艦が千葉県の沖合いで漁船に衝突し、漁師の父子が行方不明となった。 イージス艦「あたご」は、ハワイ沖で対空ミサイル発射試験などの訓練を行い、横須賀へ帰る途中だったという。
再び核の脅威
「あたご」は1,400億円の建造費をかけた国内最大の「護衛艦」で、最新システムを装備した高度な防空戦闘能力を有するミサイル防衛(MD)対応艦で、日米軍事再編の中、米海軍と共同軍事作戦を行うべく、着々と訓練を続けている。しかし日本を守るはずの「護衛艦」が、漁船が眼にはいらず衝突したことは、日本の防衛手段であるとうたいながら実際は一般国民を脅かす存在であるということを予兆した、そんな事故だった。
日本が米国のもとで軍事国家になりつつあることを、この事件で人々は気づいたかもしれない。イージス艦のミサイル防衛は核戦争の危機と軍備拡大の連鎖につながり、そのような計画は即刻中止するべきである。何よりも、投じる金額に見合った迎撃効果など得られるはずはないし、その一方で核ミサイルが発射されればたった一発でも日本は壊滅的な被害を受ける。核兵器の時代が始まって70年だが、ここに来て再び世界に核の脅威が広まっている。
米ソ冷戦の終結時、しばらく核の脅威が薄らいだ時があった。国際情勢において冷戦と核の脅威は同じようなものだったからだ。核兵器がいかに人類にとって危険か、人類の滅亡までの時間を示す世界終末時計が過去に4回、5分を切ったが、それにはソ連が核実験に成功した1949年を始め、すべて核兵器が関連していた。人類と核兵器の平和的共存はありえないのだ。
国家として最初に核開発を推進したのは米国である。ナチスドイツから亡命した優秀な科学者たちが、ヒトラーが核を独占する危険性を訴えてマンハッタン計画が始まった。ドイツの敗戦が色濃くなり、米国の核の対象は日本に移った。そして1945年、完成した原爆のうち2つが広島と長崎に投下された。戦後は「核の抑止力」という考え方から、米ソが核弾頭の数を競い始めた。「敵が核兵器を先に使わない限り、自分も使わない」、したがって「平和」のために、より多くの核兵器を持つ必要があるというものだった。
しかし1989年、冷戦の象徴だったベルリンの壁が崩壊しても、米国は核戦略を放棄しなかった。米国の核戦略を推進してきたマクナマラ元国防長官らが1999年に、核は冷戦思考の産物で安全保障を担保するものではないとして廃絶を主張したが、この声は世界で黙殺された。米国を含め、多くの国が核を保有することを選択したのである。
新たな核兵器の時代の訪れは、2001年9月11日とともにやってきた。ブッシュ大統領は米国の核兵器に対する姿勢をこれまでになく明確に世界に示した。それは、核を持っていいのは米国とその同盟国だけであり、その他の国、とくに「ならず者国家」は持つべきではないというものだった。そしてこの方針の根拠となったのが『テロとの戦い』である。ならず者国家として名指しされたのはイラン、イラク、北朝鮮だが、テロという言葉を使うことで米国に都合のよいことに敵は世界中に存在した。
世界の支配者として振舞っている米国の姿は、17世紀に書かれたトマス・ホッブスの『リヴァイアサン』になぞらえられることがあるが、まさにその通りである。ホッブスは絶対王政を正当化する理論として、混乱やならず者を統制するために暴力と絶対的権威を与えられた国家が、それを行使して人間社会での平和を維持するものとしてリヴァイアサンを描いた。その意味で、米国内においてだけでなく、リヴァイアサンとして1国で世界を支配しようとしているのが、21世紀の米国なのである。
しかし米国の世界支配によって戦争と破壊は加速し、武力による世界支配が不可能だということは誰の目にも明らかだ。そしてわれわれはもう一つの道、マクナマラたちが推奨した核の廃絶を選択する時にある。
イージス艦の役割は大気圏外を飛ぶ弾道ミサイルを追撃するという、核兵器戦争である米国のミサイル防衛の一角を占めている。米国に核兵器を落とされた国の軍隊が、その米国の下請け軍隊のような活動を続ける意味を、われわれは政府に問うべきだろう。