No.826 虫食いのない野菜は持続不可能

家庭菜園を始めてから、以前にも増して人間というものがいかに小さな存在か、また自然と切り離すことができないかを日々実感している。

虫食いのない野菜は持続不可能

実った果実は、もう少しで食べ頃だと思っていると鳥に食べられてしまう。なので先日はつぐみと競争して4時半に起きてさくらんぼを収穫した。しかしそんなことをしている自分が、可笑しくなった。鳥はタネも蒔かず、草取りもしない。だからといって、では私は、この果実の成長のために何をしたのだろうと。

我が家の菜園は除草剤や農薬は一切使わない。化学肥料ではなく、人糞などを使った天然の堆肥だけを使っている。また地中の生き物を殺したくないので、決して土は耕さない。草とりも、明らかに作物と養分をとりあっていると思うものだけを抜く。このような方法でこれまで問題に直面したことは一度もない。

先月、イギリスのインディペンデント紙に、有機農業が良いというのは神話である、つまり実際は、環境にも悪影響を及ぼすし、気候変動や食料不足のこの時代に、そのような食料の作り方をしていたのでは人々は飢えてしまうだろう、という記事を、医師で科学記者である人物が書いて掲載されたのを興味深く読んだ。

たとえば、有機飼料で育てられた乳牛は普通の乳牛よりもメタンガスを含むげっぷを2倍する。メタンは温室ガスの原因となるからだ。または有機栽培のじゃがいもは生産量が少ないためにより広い耕作地を必要とし、その分だけ化石燃料を多く使う。有機栽培で使用が認められている伝統的な農薬は、石油系の農薬よりも毒性が強い。ほとんどが有機農業だった60年前、イギリス人の平均寿命は60代だったのが、現代農業になってから80代に伸びていることをみれば、有機栽培にもどると栄養不足により短命になり、これは進化に逆行する、といった主張であった。

家庭菜園と農業の大きな違いは、菜園は自分や家族が食べる野菜を育てることで、農業は売るために食べ物を作ることだ。つまり同じ野菜作りでも農業となると話は別で、農家の人は消費者が買うもの、求めるものしか、売ることができないから、虫のついていない、完璧な形の野菜を消費者が欲しければ、農家の人は生き残るためにそのような野菜を売らなければいけないのだ。

また作物市場は巨大な卸売り、小売企業に独占されているために、農家はそこで競争に勝つために、もっとも少ない費用で作物を生産しないとならないだろう。そして、その現実が、現在の日本の食料事情となったのであろうと思う。しかし消費者も、そろそろ現実に目を向ける時期にきている。5月にミャンマーを襲ったサイクロンのように、自然の動き一つで、飽食の日本も突然の食料不足に陥らないとはいいきれないからだ。

売るための農業は買い手の希望にあわせて大量の石油を使う。しかし虫食いのない野菜、一年中キュウリやトマトを食卓に並べることは、減耗し高騰する石油資源をまえにどう考えても持続可能なことではない。

スーパーで買い物袋をもらわないとか、マイ箸を持ち歩くとか、環境を意識した活動をする消費者が増えている。食料危機への対策は有機栽培だけではないかもしれないが、まずは一人でも多くの人がプランター栽培からでも野菜作りを始めて欲しいと思う。そしてそれが無理なら、せめて買い物で野菜を買う時にはその野菜がどのようにして作られたのかを考えて欲しい。