企業経営しながら、同時に社会や環境問題を考えるようになってかなりたつ。これまでに何冊か本も上梓したが、私の主張は15年以上ほとんど変わっていない。ただし、時間の経過とともに状況が変わってきたことがいくつかある。
ケロッグの価値観は福音
その一つが労働時間に関することだ。今から15年以上前、「転機に立つ日本」という著書の中で私は日本政府の労働時間短縮を批判した。日本政府はゆとりある生活の実現に向けて「時短促進法」なるものを制定したのだ。
それに対して私は、欧米からの圧力によって労働時間を強制的に減らすべきではないと主張した。その真意は、企業経営者として、社員が面白くて刺激的で長時間でも働きたいと思うような職場、会社を作りたいという気持ちから、社員が労働時間や形態を選択する自由を与えるべきだと思ったからだが、結論として「もっと働け」という内容になってしまった。
当時と今とで変わったのは、私が歳をとったこと、そして現代社会を支えてきた石油文明にかげりが見え始めてきたことだ。そのため、かつての、「成長を目指して長時間労働に励み、結果的に家族と過ごす時間もなく、そして心身の健康を損なう」というような生き方を止め、近年はもっぱら食料不足に備えて家庭菜園を作るよう周囲に奨励している。社内でも早く労働日数の短縮その他の施策を導入したいが、製品を使ってくれているお客様対応などを考えつつ、上手く移行する方策を検討しているところだ。
最近、労働と社会の変化について書かれた『Kellogg’s Six-Hour Day』(Benjamin Hunnicutt著)を読んだ。コーンフレークで有名な米国のケロッグ社は80年ほど前に1日8時間の労働時間を6時間に短縮した。ケロッグ氏はじめ経営陣は、労働時間短縮は働く社員に家族と過ごす時間、自分のやりたいことをする時間を提供し、そして恐慌下の米国でより多くの雇用を地元に提供することができると考えたのだ。この壮大な実験は1980年代半ばまで続いたが、労働者自身が余暇よりも収入を選ぶことで、終焉を迎えた。
本はケロッグ社の元従業員への取材や、さまざまな調査を元に書かれているが、そこには、人々が家族や友人と過ごす時間よりも買い物を選ぶようになった社会変化が描かれている。余暇をどう過ごしてよいかわからない人にとっては、時短は困るのだ。1985年、8時間労働に戻ることに反対したのは女性だけで、ほとんどの男性従業員は長時間働くことが男らしいことで、早く家に帰って家族と過ごすべきではないと答えたという。
拝金主義、物質主義といえばそれまでかもしれない。しかし人生のさまざまな楽しみを味わい、体験することは、よりよいコミュニティを作り、心豊かな社員が働く会社にとっても利益になるはずだ。
現代の米国は、1930年よりも世帯の支出や労働時間は大幅に増えて、実際、4割をこす世帯が所得以上の支出をしている。富める者も貧しい者も、必死に働き、必死に消費しているのだ。
石油の終焉は物質主義の終わりでもある。しかし石油文明が安くて豊富な石油によって、先進国においては人が生きていくうえで不要なものまでが提供されているのだということに気づけば、ケロッグ社が提案した価値観に戻ることは苦しみどころか、福音だといえないだろうか。