前回、80年前に米国ケロッグ社が労働時間を1日6時間に短縮したことを取り上げた。そしてこの短時間労働形態は、労働者自身が、余暇よりも収入を選んだために終わったと書いたが、そうなった理由を考えてみたい。
消費からの解放
ケロッグが提供したのは、短時間労働で収入も減るが、その分真に豊かなライフスタイルを、という提案だった。大恐慌の後の1930年代、米国は今と比べると物質レベルはずっと低かったが、それでも選択肢を与えられたケロッグの従業員の多くは当初、家族や自分のために過ごす時間を増やすほうを選択したのである。
しかしこれは他の企業経営者から称賛されなかった。むしろ反対され、また当初は支援するようにみえていたルーズベルト大統領も、産業界からの反発で他の議員が後押しした短時間労働につながる法案を成立させなかった。
付け加えて、当時の産業界の懸念は、米国人に残っていた「倹約」の習慣だった。いまでこそ日本語の「もったいない」という言葉を環境保護活動家が注目し、世界に広げようとしているが、1930年頃の米国にも同じ感覚は深く根付いていた。考えてみれば、私の両親も家庭内の多くのものを手作りし、壊れたものは何度も修理して使っていた。それはあたりまえの行動だったのだ。しかし工業製品を生産し、数多く販売したい企業側にとっては、なくしたい習慣だった。
なぜなら当時、石油エネルギーによって生産能力が格段に増大し始めたからである。たとえば米国のテキスタイル工場は半年の稼働で1年分の服を、靴工場なら14%の稼働で1年分のニーズを満たすようになっていた。工場をフルに稼働させ、製品を売りさばくにはなんとかして米国民を「倹約」から「消費」の国民に変える必要があった。こうして、消費を煽る広告宣伝という一大キャンペーンが始まった。どんなに持っていてもまだ足りないと人々に思わせることで、消費をするために働くという循環を人工的に作り上げたのだった。
人間は誰もが欲を持っている。だからこそ仏教は「少欲知足」を教えた。逆に米国では、宣伝や販売促進によって「貪欲」を推奨したのである。機械化、コンピュータ化は人間の労働力に取って代わるべきものである。したがって現代の高い生産性を考えれば、われわれは半日労働くらいになっていてもよかったはずだ。ところが現実は、資本家である機械の所有者は労働時間の短縮を社員に提供するのとは逆に、生産を増やす、すなわち儲けを増やすことに夢中になった。
米国の産業界が打ち出した広告宣伝という作戦は大成功を収めた。多くの労働者は時間を自分や家族のために使うより、より多く働いて収入を増やす、そして消費を増やすことを人生の目標としたのである。
欲を抑えることの難しさはわが身を振り返っても痛感する。もともと物質主義傾向を持つ人間であるから、なおさら社会のリーダーはケロッグが提供したような価値観を取り入れ、それを社会の規範とするべきだった。さらに政府が、労働時間を延長しない法規制をとれば、今日ほどの物質主義社会にはならなかっただろう。
石油の高騰が続けば、経済的理由から操業時間が短縮される時代にもどる。そうなれば再び経営者も労働者も時間の使い方を見直す時がくるだろう。しかしこの変化を恐れるべきではない。人々が支出を減らしても快適に暮らすことができると気づくこと、そして消費から解放されることが、真の豊かさに一歩近づくことだと私は思うからだ。