No.852 雇用提供が企業の役割

アメリカでは、経営危機に陥っている自動車3大メーカーを救済するため、1兆円を超す公的資金による融資が行われるかどうかの調整が続いている。

雇用提供が企業の役割

失業が増え、経済の先行きに対する危機感が強まっているため、経営破たんの恐れがある自動車会社に巨額の資金を注入し、なんとか延命させようという声がでているという。アメリカ政府自体が赤字財政であることを考えると、救済は結局、日本をはじめ海外からの借金でおこなわれることになるのだろう。

報道によれば、その救済を待つ自動車3大メーカーの経営者は、11月ワシントンへの陳情に「自家用ジェット機」に乗ってきた。危機に瀕してもそのコスト感覚では、支援したところで経営者の懐だけを潤し、結局破綻することになるのではないだろうか。しかし金融機関や大企業に対しては、なぜ「自己責任論」が適用されないのであろう。

現代社会では、貧困や病気は同情には値せず、まるで個人の責任だといわんばかりの冷遇を受けている。日本の総理大臣による、「飲んで食べて、何もしない人(患者)の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」という発言など、まさにそれである。そして勤労者は居場所を失う(リストラ)ことを恐れて冷遇を受け入れ、さらに貧富の格差が広がっていく。

リーマンブラザースの破綻のあと融資を受けたアメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)も、救済が決まった1週間後に高級リゾート地で何千万円もかけて会議を開いていたことが発覚したし、赤字でバンク・オブ・アメリカに身売りしたメリルリンチではCEOが1,000万ドルのボーナスを要求するアメリカ。多くの社員をリストラし、その一方で経営トップは持てる特権は最後まで手放さない。取れるときにできるだけ多く、自分だけがよければそれでいいという態度がアメリカ式経営手法であり、それを賞賛し模倣する日本企業が増えれば日本も同じ道をたどるしかない。

日本で会社を興して36年、先輩の教えを通して、そして実体験として、私は経営を学んできた。大変な時期も何度かあったが、今の世界経済をみると来年はおそらくこれまで以上に商売をする上で厳しい時代になるだろう。しかし減益だからリストラという選択肢は私にはない。なぜならそんなことをすれば残る社員への影響も大きく、結果的に会社にとってよいことはない。一部の社員を犠牲にするのではなく、経営者を含めて全社員の給料をカット、それも高給の社員ほど削減率を大きくするという方法をとるしかない。役員の給料は5割削減できても、年収の少ない若手社員が5割削減されれば生活できなくなるからだ。

権力を手にすると人は自分の能力や努力でその地位を得たように錯覚する。しかし本当は健康や部下に恵まれたこと、運がよかったことのほうが大きい。さらに私の経験から思うのは、企業の成功や個人の幸福は、治安や社会基盤、教育など、社会からの恩恵によってもたらされるということだ。一部の人が大部分の富を手にし、大多数の勤労者が搾取されリストラにおびえていては、治安のよい安定した社会にはならない。

日本の経営者が、雇用の提供が企業の役割であるということに気づき、それを実践すれば、2009年の世界経済がどんなに厳しくなっても、日本は乗り切っていくことができるだろう。そのためには、日本に格差社会をもたらしたアメリカ式の自由競争をやめること。弱肉強食から共存共栄へ転換することだ。