No.870 誰のための規制か

アメリカに端を発した金融危機の原因の一つが規制緩和であったことはもはや明白である。しかしこれは国家としての政策の失敗であり、すべての規制を強化すべきだと私は思っていない。

誰のための規制か

小泉内閣が行った構造改革では徹底的に規制を排除し、「市場原理」、すなわち儲けのための競争にすべてを委ねた。たとえば労働法制の規制緩和で、労働者の雇用は一挙に不安定になり、非正規雇用者は急増し、その激しい競争で得られた利益は、企業経営者や株主といった人々の手に渡った。だからといって、規制の撤廃を支持するのは保守派で、革新派は規制強化を求めている、とは言えない。

実際、保守派は必ずしも規制緩和を支持しているわけではないし、革新派はもっと規制を、と言ってはいない。世界を見回すと、保守派は社会の上層部に利益や所得が回るような構造を支持し、一方の革新派は、それがなるべく平等になるような構造を支持している。

身近な例として、特許や著作権による政策がある。これらは規制の一種で、市場原理を排除するために政府が保護を提供している。

特許についていえば「自由市場」のアメリカで、政府の強い規制で守られている分野の一つが医薬品だ。アメリカには国民皆保険制度がなく、国民の15%以上が健康保険に加入していない。公的保険にはメディケイドとメディケアがあるが、治療費の一部とわずかの処方薬しか含まれておらず、高い価格で薬を買わなければならないことは貧しい人々にとって大きな負担となっている。もし医薬品が市場競争の原理で販売されていれば価格はもっと下がるだろうが、高価なブランド医薬品は、規制のおかげで効果的に価格を維持することができる。

薬の開発には巨額の費用と膨大な時間がかかる。そのため先発企業は新薬を開発したら資本を回収するために特許権が必要、というのは確かに筋が通っている。それならここに国家が介入すべきだ。国家の役割は大多数の国民が安心して暮らせるようにすることである。それを前提に特許を含むすべての規制を再考すればよい。

たとえば開発された薬を政府が買い取って低価格で提供することもできるだろうし、または政府が研究開発費を負担し、すべての結果を政府のものにしてもいい。実際、アメリカ政府は国立衛生研究所に年間300億ドルの研究費を財政支援しており、この金額は製薬会社の研究開発費に等しい。支援を600億ドルにすれば多くの国民に安く薬が提供できるのだ。これをみれば、特許という仕組みが、利益を製薬会社にいくようにするためだということがわかる。

コンピュータ業界では、ビル・ゲイツが著作権のおかげで世界一の金持ちになった。世界中の90%のコンピュータが使うOSの独占を政府が許しているからこそ、彼一人でアメリカ国民最下位の45%の合計を上回る富を手にできたのである。このような富の不均衡をもたらす規制や政府の保護こそとりはらうべきである。

金融規制を再考する際、規制の是非を論じる核心はその規制が誰のためか、という視点が重要である。規制のない弱肉強食社会など、誰も欲しくない。しかし規制によって富が社会の上層部、より強者の手に渡る構造になっているということもまた、われわれは見逃してはならない。