No.872 最後の雇用者は政府

2000年、『能力なき者は去れ、で日本は本当に甦るか』(現代書林)という本を、評論家の江坂彰氏との対談形式で上梓した。当時から日本はデフレによる不況といわれ、それを脱するためにも規制緩和をし、アメリカ流の能力主義にすべきだということが声高に言われていた時代である。

最後の雇用者は政府

この対談は、終身雇用や年功制によって活力が鈍化した日本企業は能力主義を取り入れることが唯一の道だとする江坂氏と、能力主義になれば貧富の格差が拡大する、能力主義を導入する経営者は詐欺師かバカ者、という私とのやりとりがメインテーマではあったが、もちろん時代の流れは江坂氏側にあった。

それから10年になる。メディアの後押しによる能力主義、規制緩和の大合唱の後押しで、アメリカ流手法は当たり前となった。アメリカのように貧富の格差が拡大し、雇用破壊が大きな課題となっているのも、手法を真似たのだから当然である。そしてつい最近まで、人口減少で不足する労働力を補うために、外国人労働者を経済政策の柱にと訴えていた日本経団連は、派遣労働者から「雇用と生活を守れ」と要請されている。

ほとんどの日本人は、自分や家族のために働かなければならないが、資本主義経済では完全雇用は提供されない。そして労働者のほとんどが所属する民間企業には完全雇用を保障する責任はなく、唯一その責任を負っているのは政府なのである。したがって、政府が雇用者になればよいし、なるしかない。それが「最後の雇用者(エンプロイヤー・オブ・ラスト・リゾート)」という考え方である。

すぐに仕事に就ける人を政府が雇用すれば、完全雇用が保障できる。スキルや経験、過去の所得にかかわらず、すべての人に共通の基本賃金と手当てを払う。この賃金と手当てが最低賃金の目安となり、社会の景気循環に合わせて賃金が上下したり、またもっとよい賃金の仕事が民間企業にあれば、労働者はいつでもそちらへ移ることができる。最低賃金であっても、セーフティネットが作られるのだ。

日本でこれを導入した場合、甚大な費用がかかるわけではない。現在失業中の270万人を、平均最低賃金の時給703円、または最も高い東京の時給766円で、1日8時間、週5日、年間2,000時間雇用しても、1年間の費用は4兆円、昨年の消費税税収13兆円の3分の1以下である。消費税が国民の社会保障費の財源であるならば、これは極めて正当な使い方だと私は思う。

そして行う仕事は、環境に関するものや、地元地域の美化や改善を促進するようなことにすれば、失業者から不安や大きな精神的ストレスが払拭されるだけでなく、環境が向上し、また失業手当の支払いもなくなり、社会全体に大きな利益がもたらされるだろう。

資本主義経済において失業は「自己責任」だと言われるが、資本主義経済は求職者全員に十分な数の雇用を提供することはできないのが現実である。だからこそ政府が最後の雇用者となる必要ある。

能力主義やグローバリゼーションを標榜して世界を市場にして大きな利益を上げてきた企業が、次々と派遣切りやリストラを行っている。それは結局は日本の社会を壊すことである。崩壊が進む前に、政府が雇用者となる施策を試す価値はある。