No.874 バイオスフィア

『Biosphere 2』という本がある。すでに絶版となっているようだが、90年代初め、アリゾナで人工的に地球のような生態系からなる閉鎖空間を作り、そこで8人の科学者が生活するという壮大な実験について書かれたものだ。

バイオスフィア

もともとは、地球の環境問題、そして人類が宇宙空間に移住したときに閉鎖された狭い生態系で生存できるかどうかを検証するためのプロジェクトだったらしいが、実験はみごと失敗に終わり、現在はアリゾナ大学の教育施設となっているということだ。

バイオスフィア(生命圏)とは、人間を含む生命体が死と再生を繰り返す生態系のことであり、地球をバイオスフィア1、それを模倣したのがこのバイオスフィア2であった。当初は人員を交代して100年間実験を続ける計画だったのが2年で終わったのは、人智の及ばないこの地球という生命圏がいかに完璧で、模倣することが難しいかということだろう。

また興味深かったのは、食料不足が起きて、餌を大量に必要とする豚や鶏を殺すことになったこと、食料不安定から実験に参加した8人の意見が分裂し、関係が冷え込んだことも、科学だけでなく社会的な実験となったことを示している。

なぜこの本を取り上げたかというと、規模は違うがこの生命圏の成功事例が江戸時代だと私は思うからである。食料生産、効率的なリサイクル、人口の維持、そして社会秩序、そのどれが欠けても260年にわたり閉鎖された生命圏がうまく運営されることは不可能だったはずだ。

生態系とバランスをとることは、長期の存続には不可欠である。あらゆる資源が再利用され、人糞までもが肥料として使われた江戸は、同じ時期のヨーロッパのように窓から糞が捨てられるようなこともなく都市は清潔に保たれていた。日々の人間の排出物までもが自然のサイクルと密接に結びついていたのである。いうなれば、それくらい徹底しなければ持続性を維持することは難しいということだ。

明治以降の近代日本が江戸を遅れていたとして軽んじる理由は、そのような持続可能な社会はビジネスにとっては都合が悪いからである。すべてが再生利用されれば、新製品への需要は少なく、経済は成長どころか停滞する。事実、江戸時代に経済成長はほとんどみられなかった。また人口も約3千万人で安定していた。低成長と安定した人口は生命圏の持続にとって欠かせないポイントなのである。

今、日本の人口は1億3千万人にも増え、海外からの資源なしに生存は不可能となった。そして政府は永遠の経済成長を掲げて国民を消費者と呼び、少子化を心配し、海外からの労働者で人口を増やそうとし、企業は利益を追い求めて大量生産、大量消費、大量廃棄を続けている。

江戸時代は今のように快適でも便利でもなかった。しかし完璧なほどの循環型社会を築いた祖先があえてそのような暮らしを続けたのは、劣っていたからではなく、生態系のバランスを理解していたからだろう。

実験は継続不可能になればいつでも中止できるが、地球以外の星で人間が暮らせないことはこの実験の失敗でわかったはずだ。だからこそ、自然と調和しながら生きる文明をもう一度見直す時期にきていると私は思うのだ。